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2020年11月21日 (土)

「電通「正社員の個人事業主化」の狙い 新会社設立し10年契約のバックアップも」。起業支援なのか。

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電通「正社員の個人事業主化」の狙い 新会社設立し10年契約のバックアップも
https://news.careerconnection.jp/?p=104963
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目についたので、少し感想です。

電通で来年1月から、正社員の一部が早期退職し、個人事業主として働き始めることが分かった。同社は2020年11月、新会社「ニューホライズンコレクティブ合同会社」(以下、NH社)を設立。新たに個人事業主になった後は、NH社との間に10年間の業務委託契約を結び、兼業や起業をしながら働くことが可能になる。

NH社は、電通の社員が個人事業主として独立し、その事業が軌道に乗るまでの10年間を支援する役割を担う。このため、契約期間は10年だが、事業が軌道に乗って自立の目処が立った場合などは、個人事業主側から契約の解除を申し出ることも可能だ。反対に、契約期間10年が終わった場合に正社員として復職できる仕組みはないという。

記事を見た限りでは、起業支援にしか見えない。
追い出し部屋に似ているが、本人の意思で選ぶと書かれているので、追い出し部屋とは言えない。
好意的に読めば、独立したい人の支援に見える。
逆に独立する気がない人は、この仕組みに近づかないと思う。下手を打って巻き込まれたら嫌だろう。
これが本人の意思ではなく半ば強制なら、体のいいリストラになるが、本当のところは現時点では分からない。
仮に体のいいリストラなら、電通とは別会社にしている点と、会社の名前に電通のロゴが含まれていない点が、トラブルになることを見越した伏線のようにも思える。

その他に気になるのは、従業員と請負いは違うという点だ。
請負いなのに、実体として従業員と同じ働き方を求められるのなら、それは偽装請負となる。
電通は、従業員と個人事業主の働き方の違いを説明しているのだろうか。今のところ、そのような説明を見ていないのでモヤモヤする。う~ん。

(*´ω`*)モキュ

 

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2020年11月20日 (金)

「富岳は、主要なスパコンベンチのすべてで1位を獲得することが重要」。面白い。

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富岳は、主要なスパコンベンチのすべてで1位を獲得することが重要
https://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/1289662.html
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すこし感想です。

理化学研究所計算科学研究センターの松岡センター長は、「富岳は、主要なスパコンベンチマークのすべてで1位を獲得することが重要である」と強調。「富岳は、Society 5.0の早期実現を含む、国民の関心事に応える幅広い分野のアプリケーションを、世界レベルで加速することが目的である。それぞれのベンチマークは、一部のアプリをモデル化したものであり、富岳がその目的通りに設計されていれば、どこで切りとっても、あらゆるベンチマークでトップ性能を示す。もし、一部のベンチマークでのみ、トップ性能がでるというのではあれば、設計目的をまったく満たしていないことになり、失敗したことになる。よって、主要な、スパコンベンチマークのすべてで1位になることが重要である。今回の結果からも、富岳は、開発目標を満たしたものであることが証明された」とした。

スパコンの富岳が、ランキングで一位とのこと。すごいなぁ。
もっとも、記事の内容については専門的すぎて、あまり分からない。
ビジネス展開については、すこし興味があるが、この点も一般向けではないため、やはり分からない。それでも、ビジネス展開については、もう少しクローズアップされてもいい気がする。

ネットでランキングの一覧を見ていたら、4位にnVidiaが入っていた。これは、ちょっとビックリ。これって企業だけなのか、それとも国家主導なのか、気になる。
ランキングにあるスパコンのプロセッサを見ると、powerやxeonが目についた。powerはIBMで、xeonはIntelなのかな。富岳は富士通のプロセッサなのだろう。
OSを見ると、軒並みLinuxだった。つまり、unix系ということだろう。
富岳でコロナ過の飛沫のシミュレーションを計算させていたようだが、Linuxベースのソフトウェアなのだろうか。
昔、コンピュータの仕事をしていたときに、RedHatやLinuxが流行っていたのを思い出した。

(*´ω`*)モキュ

 

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2020年11月19日 (木)

「間違いだらけの「ジョブ型」議論、成果主義ではない」。労働者なら読んだほうが良い。

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間違いだらけの「ジョブ型」議論、成果主義ではない…第一人者・濱口桂一郎氏が喝!
https://www.sankei.com/premium/news/201014/prm2010140001-n1.html
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少し前の記事ですが、感想です。
ズバリと言っているので、労働者なら、この記事を読んでおいた方が良いと思います。

「ジョブ型を成果主義と結び付ける誤解が多く、おかしな議論が横行している」と警鐘を鳴らす。

ジョブ型とは、採用時から職務をはじめ勤務場所や労働時間などを明確化した雇用契約を結び、その範囲内でのみ仕事を行うという欧米はじめ世界的に標準の雇用システムを指す。典型的な例が米国の自動車産業の工場労働者で、細分化された具体的な職(ジョブ)に就くという、文字通りの意味での「就職」だ。
これに対し、「入社」という言葉や新卒一括採用制度に象徴されるように、職務を限定せずにまず企業共同体のメンバーとして迎え入れ、担当する仕事は会社の命令次第という日本独特の正社員雇用は「メンバーシップ型」と呼ばれる。職種や勤務地、時間外労働などに関し使用者に強い命令権を認める代わりに、命じられた仕事がなくなった場合でも会社が別の業務に配置転換させる義務を負うなど、共同体の一員として簡単には整理解雇されない。

すこし補足するなら、労働者が、企業に依存しているか、職業に依存しているか、という見方ができる。
また、企業別労働組合と産業別労働組合の違いとも言える。労働者を保護するバックボーンが違うということ。
日本は解雇回避の義務が強いらしいが、ジョブ型が主体の欧米でも、解雇回避はそれなりにされているらしい。

そもそもジョブ型では管理職など一部の上層を除けば、中から下の人についてはいちいち成果を査定しません。なぜかといえば、そのジョブに就ける人間かという評価はすでに採用時に済んでいるから。後はジョブ・ディスクリプション(職務記述書)に書かれた内容をちゃんと履行しているかだけです

これ重要なことだと思う。覚えておいたほうが良い。

メンバーシップ型では末端まで正社員全員を評価の対象にする。だが業績の評価といっても、ジョブの明確な切り分けのない日本企業で、しかも決定権や責任のない一般社員に対して適切に行うのは困難であるため、社員の「頑張り」を評価する疑似成果主義になりがちだ。

これも重要なことだと思う。一般社員を適切に評価できないという点は、重要。

産業革命後の欧米社会で長期間かけて形成された雇用モデルであるジョブ型に対し、高度成長期の日本で定着したのがメンバーシップ型だ。1980年代までは硬直的な欧米のジョブ型と比べ、柔軟で労働者の主体性を引き出す仕組みだと称賛もされてきたが、90年代以降は「正社員」枠の縮小に伴う非正規労働者の増加、無限定な働かせ方に起因するブラック企業化など、各種の問題が噴出するようになった。

メンバーシップ型が柔軟とあるが、一定の範囲内の変化には柔軟に対応できると思う。なぜなら、滅私奉公だから。
しかし、ビジネスモデルが大きく変わるときは、大規模な事業再編などが発生するため、リストラを考慮する必要がある。ビジネスモデルが変わる場合は、ジョブ型の方が機動性が高いと思う。
メンバーシップ型は、年功序列と終身雇用であるため、本来はリストラできない。それでも、リストラを強行するなら、年功序列と終身雇用にセットとなっている滅私奉公を放棄しなければならない。
企業が手放そうとしない滅私奉公は、年功序列と終身雇用が前提となっていることを忘れてはならない。

(*´ω`*)モキュ

 

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2020年11月18日 (水)

「「政治家が徴税を理解できていない」年収800万円の40代女性、アンバランスな税制に憤慨」。国民負担率とは。

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「政治家が徴税を理解できていない」年収800万円の40代女性、アンバランスな税制に憤慨
https://news.careerconnection.jp/?p=104010
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すこし前の記事ですが、感想です。

累進課税の仕組みは、単に取りやすいところから税金を取っているだけではないのか。業種や就業形態によって税務署の所得把握に差があることを揶揄する『クロヨン』という用語が存在する。それと同じで、税務署の怠慢でしかない

クロヨンの話しは分かる。

千葉県の女性には夫と子どもがおり、世帯年収1000万円台。所得制限により児童手当を削られ、高校無償化も対象外になったという。また高額療養費制度の負担が倍増したほか「夫に万一のことがあった時に支払われる遺族年金も、対象から外されました」と付け加える。こうした現状から、憤りをあらわにする。

「累進課税に納得いきません。頑張った人の稼ぎが国に頼りっぱなしの人に回ってしまうとしたら、誰も頑張らなくなるのではないでしょうか。私は子どもが小さい頃から正社員で働き、少しずつ収入を増やす努力を重ねて、やっと今があります。子どもたちに我慢させてきた時間があることを忘れて欲しくないです」

これについては、非正規労働者の非婚率は高い。そのため、非正規労働者からすれば、子供達に我慢させてきた以前の問題になる。
更に言えば、就職氷河期に放り出された人たちの中には、そもそも収入を増やすために積み上げる機会すら無かった人もいるだろう。

公平性を問うなら、税制と補助金などの支援がアンバランスになっている現状に、まず国民が疑問を持つべきだと思います。もっとも政治家が徴税を理解できていないのではと感じていますが

国民が、無知のベールを被っているのだから、どうしようもない。
もちろん私も無知のベールを被っている。分からないことばかり。

さて、私は、国民負担の累進性について疑問に思っている。
そこで、ネットを検索しました。しかし、素人だし、分からないことばかりで、途方に暮れました。また、理解していない事柄も多かった。

ネットを見ていたら、年収別の国民負担(所得税、住民税、社会保険料(健康保険料、厚生年金保険料))があった。
(ネットの情報なので、どこまで信用できるか分からないのだが、同じようなサイトが幾つもあったので大丈夫かもしれない。まぁ、鵜呑みにはしないでくれ)

 年収300万円 → 20% 手取り額239万円
 年収700万円 → 24% 手取り額529万円
 年収1000万円 → 29% 手取り額712万円
 年収1億円 → 51% 手取り額4894万円

 (家族の扶養などは考慮していないようだ)

低所得者の私は、これを見たとき涙目でした。この手取り額でどうしろと。
年収1000万円の手取り額は712万円なので、それと比べると地獄の底に落とされた気分だった。
税金が高いとよく言われるが、一種のマインドコントロールのように感じる。
税金を下げて喜ぶのは富裕層ではないのか。

試しに、年収別の国民負担をグラフにしてみた。

【年収300万~1000万の国民負担額】
000583

【年収300万~1000万の国民負担率】
000584

【年収500万~1億5千万の国民負担額】
000581

【年収500万~1億5千万の国民負担率】
000582

 (年収1000万円以上の社会保険料率がおかしいのは、そのような制度だからです)

国税庁のホームページには、所得税率は以下のように書いてあった。

 課税される所得金額
 1,000円~1,949,000円 → 5%
 1,950,000円~3,299,000円 → 10%
 3,300,000円~6,949,000円 → 20%
 6,950,000円~8,999,000円 → 23%
 9,000,000円~17,999,000円 → 33%
 18,000,000円~39,999,000円 → 40%
 40,000,000円以上 45%

東京都主税局のホームページには、住民税は以下のように書いてあった。

 所得割
  都民税 → 4%
  区市町村民税 → 6%

協会けんぽのホームページには、社会保険料が以下のように書いてあった。

 健康保険料 → 9.87%
 健康保険料 → 11.66%(介護保険第2号被保険者)
 厚生年金保険料 → 18.300%
 (健康保険料と厚生年金保険料は、労使折半)

続いて、国民生活基礎調査の概況(2019年)から抜粋した画像です。
(これは所得ベースなので誤解しないように)
000571-2019

財務省の、わが国の税制の概要から抜粋した画像を3点です。
000592
000593
000592_20201118232501

上記の記載では、年収と所得を、ゴチャ混ぜに記載したが、年収と所得は、別物です。
年収から給与所得控除を引いたものが所得になるらしい。
自営業なら収入から経費を引いたものが所得になるらしい。
(上記の所得税を計算するときは、これに扶養家族や社会保険料などを考慮して、課税される所得金額を算出する)

国税庁のホームページには、給与所得控除額は以下のように書いてあった。(令和元年度)

 給与等の収入金額
 ~1,625,000円 → 650,000円
 1,625,001円~1,800,000円 → 収入金額×40%
 1,800,001円~3,600,000円 → 収入金額×30%+180,000円
 3,600,001円~6,600,000円 → 収入金額×20%+540,000円
 6,600,001円~10,000,000円 → 収入金額×10%+1,200,000円
 10,000,001円以上 → 2,200,000円(上限)

例えば、年収300万円なら、所得は192万円になる。
これを所得金額階級別世帯数に当てはめると「私の年収って、低すぎ~」となる。プロレタリアートであり、搾取されている気分になる。

もちろん、所得金額階級別世帯数という世帯単位に、個人の所得を比べても、本当のところは分からない。
また、独居老人が増えているという話しもあるので、所得金額階級別世帯数にある低所得者層には、独居老人が多い可能性がある。
国民生活基礎調査の概況には、全世帯数は5100万世帯とある。そして単身高齢者は700万世帯で、夫婦高齢者は800万世帯とあった。これらは全世帯数の29%になる。高齢者の世帯が多すぎ。

さて、ズラズラと書いたが、私自身は、よく分からない状態だ。これらを眺めていても思考が停止してしまう。

とりあえず分かることは、税金よりも社会保険料が高い。しかし、高所得者は税金のほうが高い。
手取り額を考えると、低所得者はどう足掻いてもツライ。
さらに、消費税が上乗せされると、低所得者は絶望する。乾いた雑巾を、さらに搾るような仕打ちだ。
低所得者からすれば、無い袖は振れないのであって、ある所から取れとしか言いようがない。

ネットで老後の資金を検索すると、夫婦で月22万円とか月26万円が必要と書かれている。ゆとりのある生活を送るなら、もっと必要だという話しもある。
月22万円は年間だと264万円になるが、対して年収300万円の手取り額は239万円である。この両者を比べると、暗い気持ちになる。
年収300万円でも、ひとり暮らしなら生活は可能だと思う。しかし、結婚や子供は厳しい数字ではないか。また、ひとり暮らしだったとしても、老後は生活保護を覚悟したほうが良いかもしれない。年収300万円以下の国民は「人生を諦めろ」と言われている気がしてならない。

やはり、日本は壊れているようだ。

(私の能力でブログにまとめるには、無理があった。只々、ゴチャゴチャして分かりづらいブログでゴメンナサイ)

(*´ω`*)モキュ

 

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2020年11月 1日 (日)

「自民・伊吹氏、自助できるのに「自称弱者」次々出ると…」。是非とも、もっと考えてほしい。

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自民・伊吹氏、自助できるのに「自称弱者」次々出ると…
https://www.asahi.com/articles/ASNBY66MYNBYUTFK01P.html
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ネットを見ていたら、気になったので感想です。

(菅義偉首相が掲げる「自助・共助・公助」に関し)うまくいかなかったやつは、みんな自己責任じゃないかという論調は全く違う。自助は、できる限りのことを自分でやる。政治はその意思を持っている人たちができる限りやれるような平等な条件をつくる。これが本来の保守主義、自由主義政党の理念。そこで、うまくいかない人についてはみんなで助け合っていこうというのが共助だ。

自助ができるのに私は自助が出来ませんという「自称弱者」が次々出てきて、自助をしている人の果実をかすめとっていくと社会は成り立たなくなる。

この記事だけでは、全体の発言が見えないので、本当のところは分からない。それを踏まえた上で、この記事を鵜呑みにした感想です。

公助について触れていないのは、何でだろう。
「政治は(中略)平等な条件をつくる」とあるが、それなら国民負担の平等をまずは説明してほしい。どうにも、日本の国民負担は、累進性とは思えない。
高所得者が、支払える能力があるにも関わらず、社会インフラや社会経済に乗っかることは、フリーライダーなのではないか。(年収800万円とか1000万円の人のことを指しているのではない)

日本は外国と比べると、相対的貧困率が高いと言われている。自助を強調するなら、それがネックとなるが、どのようにその点を解決するのか、まずは説明してほしい。生活保護の捕捉率が低いことに関しても同様である。

国民の年収がどんどん下がっているようだが、政治の失敗を、国民の自助で誤魔化そうとしているように見えるのだが、まずはそのことの説明をしてほしい。これは少子化問題も同様だと思う。

ブラック企業問題で、うつになった人もいると思う。ブラック企業問題を放置していたのに、今更、自助と言われても困る。その点に関して、どのように考えているのか、まずは説明してほしい。

「自助をしている人の果実をかすめとっていく 」とあるが、例えば、運送業が規制緩和によって労働環境が悪くなり、成り手が減っていることについては、どう思っているのか、まずは説明してほしい。自助する環境を作るのが政治の役割ではないのか、それとも壊すのが政治の役割なのか。

このように政治の怠慢が色々と思い浮かぶのだが、これを踏まえると、政治こそが自助をしている人の果実をかすめとっているとの考えになるのだが、その点についての意見を聞きたい。

(*´ω`*)モキュ

 

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2020年10月25日 (日)

「そもそも無理のあった同一労働同一賃金」。そもそも、どう考えるか。

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そもそも無理のあった同一労働同一賃金(城繁幸)
https://www.j-cast.com/kaisha/2020/10/18396658.html
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目についたので、すこし感想です。
筆者は、いつも企業側の視点で、ズバズバと書いているから、なかなか面白いのだが、労働者のひとりである私には、笑えない事柄も多い。

判決は「実質的に正社員と同じなら待遇格差は不合理である」とも述べている。今後、企業人事は「正社員と同じ」と言われないよう、業務内容はもちろん異動や人材育成まで含めて正社員と非正規の棲み分けを徹底するはずだ。

長期間雇用しすぎると実質的に正社員と同じだと突っ込まれる恐れがあるため、雇用期間はより短く細切れになるだろう(すでに5年で無期転換というルールもある)。業務内容もより付加価値が低く、短期で人を入れ替えても影響のない業務に限定されるはずだ。

格差を是正するための規制が、格差をより強固なものにしてしまったというわけだ。

私は、短期で入れ替えるを肯定する。
長期間の勤務が続いたのに、突然、契約を切られることのほうが辛いと思うからだ。しかも、それが高齢になってからだと、身動きが取れなくなる。
現状の日本では、非正規労働者には年功序列や終身雇用が保障されていないと思うので、非正規労働者は企業に依存しないほうがいい。(もっとも、正社員も年功序列や終身雇用が保障されているとは思えないが)
使い捨てられるくらいなら、ノウハウを身に付けて、さっさと他所に移ったほうがいい。

契約社員やパートは、その求人内容を見ても明らかなように「何の仕事をして時給をいくら受け取るか」が明示された職務給だ。

これに対し、日本企業で働く正社員のほとんどは「会社に言われた業務は何でも担当し、全国転勤も残業もこなしながら毎年少しずつ昇給していく賃金制度」で働いている。
だから、たとえば同じ職場にほとんど同じ仕事をしつつ契約社員の3倍の時給を受け取る正社員のオジサンがいたとしても、二人の時給を平準化しろとは言えない。オジサンはきっとこういって反論するだろう。

「自分は入社以来ずっと会社のために何でもやってきて、今はたまたまこの事務の仕事をしているだけです。給料が高いのは過去の年功に対するご褒美だから当然です」

今回は賞与や退職金がテーマだが、構造的な問題は同じである。判決もごちゃごちゃ書いてあるものの、要するに「一時的に同じ業務をこなすことがあっても、異動などの状況が異なるから不合理とは言えない」と示している。現状の枠組みを維持したままではこれが精いっぱいということだ。

日本はメンバーシップ型と言われている。欧米はジョブ型と言われている。
なぜ、そうなったかと言えば、日本では社員の平等が求められ、欧米では職業の平等が求められたからだ(らしい)。
これは、日本や欧米の労働者が、経営者による恣意的な評価を嫌った結果として、出来上がった仕組みだ(らしい)。
恣意的な評価とは、必ずしも実力で評価されるのではなく、経営者が自分の好みで人事や給与を決定することだ。

明るい兆しがないわけでもない。コロナ禍に伴うリモートワーク推進で、従来の年功賃金からジョブ化(職務給化)にシフトする企業が相次いでいる。決して交わることのなかった2つの賃金制度が、コロナ対応をきっかけに交わり始めているのだ。

こうなると「過去の年功に対するご褒美だから」という言い訳は通用しなくなるし、企業側も生産性の低い正社員の賃金を減らして、優秀な非正規雇用に報いる努力をするだろう。それが10年後になるか20年後になるかはわからないが、いわゆる「メンバーシップ型雇用」なるものが完全に消滅した後には、雇用形態にかかわらず、業務内容に応じて賃金が決まるクリアな社会が実現するはずだ。

「業務内容に応じて賃金が決まるクリアな社会」とあるが、そうはならない。経営者による恣意的な評価が跋扈する未来しかない。
もしも、そんなに簡単にクリアな社会になるのなら、ブラック企業のような騒動は起こらなかった。

「そもそも無理のあった同一労働同一賃金」という意見は、もっともな話しである。
しかし、労働者がそれを認めてしまうと、恣意的な評価が蔓延することになる。だから、労働者は評価基準を明確にしなければならない。公平を求めなければならない。
そうしなければ、ブラック企業の問題のように、うつや過労死が蔓延するだろう。
業務内容に応じて評価すると、評価基準が曖昧になる。だから、評価基準を明確にするために、同一労働同一賃金、もしくは、年功序列という、基準が定められた。労働者は、そこを勘違いしてはならない。

もりかけ騒動における「忖度」というキーワードは、記憶に新しいと思う。
そして、もりかけ騒動に於いては、上の者の顔色を窺うことであった。その結果、何が起きたか。

最後に少し蛇足です。
格差の拡大や二極化と言われ、中間層が消滅している。
結果として、少子化という社会問題が発生しているわけだが、少子化による影響は、移民問題という新たな社会問題につながる。
日本人の割合が減れば、国体に影響するし、移民の割合で中国人や韓国人が多ければ、国家間の問題に直結する。
国体が破壊されれば、それは天皇制の破壊につながるだろう。(ちなみに、私は国体や天皇制をよく分かっていない人間です)

日頃から、保守の人達の、ご立派な記事を見て「ごもっとも」と思ってしまうことも多いのだが、保守の人達は、国体が破壊されることをどう思っているのだろうか。
共産党が天皇制を破壊するよりも、もっと確実に少子化による天皇制の破壊が進んでいる。
誰の思惑か分からないが、例えば、グローバリズムやエニウェア族と呼ばれる人達には、国体や文化などは邪魔なのかもしれない。
保守の人達は、一体、何を応援しているのだろうか。

これは、生活保護や貧困層でも同じことが言える。
よく生活保護や貧困層を批判している人達がいるが、普通に生活できなければ、それが少子化につながることは、想像が付く。そして、始めは貧困層が否定されるが、その貧困層が居なくなれば、次は中間層が否定される。もっとも、その中間層もすでに消滅しているが。。。

よく覚えていないのだが、最近、ネットでひろゆき氏が「肉屋を応援する豚」と皮肉を言っている記事を見かけた。
ちゃんと自分の頭で考えないと、いつの間にか、他人に利用されていることもあるのだろう。怖いなぁ。

死にたくなければ、死ぬほど考えるしかない。

「飛ばねぇ豚は、ただの豚だ」(紅の豚)

(*´ω`*)モキュ

 

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2020年10月11日 (日)

「スガノミクスでも絶対に「経済成長」は起きない」。ふむ、如何ともし難い。

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スガノミクスでも絶対に「経済成長」は起きない
そもそも「経済成長」って何のことなのだろうか
https://toyokeizai.net/articles/-/379099
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最近、友人から携帯料金を下げる政策について、どう思うか質問された。
私は、関心が無いと答え、更に、効果が無いのではないかと答えた。
そして、どうすればいいか聞かれたが、答えが出なかった。
う~ん。考えよう。
(※.私も友人も、どこにでもいる平凡な日本人です。むしろ平凡以下の日本人です)

実は「アベノミクスは大成功だった」と評価する人たちも、「第3の矢」である成長戦略については「達成できなかった」とほぼ全員が認めている。だが、楽観的な彼らはスガノミクスの規制緩和に期待し、「これでイノベーション(技術革新)が起き、経済成長が起きる」と期待している。

 絶対にない。また、経済成長は決して起きない。

なぜか。それは経済成長とは、バブルのことだったからである。「『3つのバブル』が崩壊する瞬間が近づいている」でも書いたが、世界のバブルはこれから崩壊する。それが2つのバブルの崩壊か、3つなのかはわからない。だが今後は経済成長(そして経済成長と人々が勘違いしていたもの)は絶対に起きないのである。

面白い記事だと思った。よく分かる。

イノベーションを提唱したのは、20世紀初頭から中盤にかけて大活躍した経済学者のヨーゼフ・シュンペーターということになっている。雑に言えば、彼は有名な「創造的破壊」によって、既存の大企業などの既得権益となっている産業構造を壊し、独占力を壊し、そこに企業家(起業家ではない)が参入し、「新結合」(すでにあるものの新しい組み合わせ)で新しい産業構造を作りこれが経済発展をもたらす、と主張した。現代では、これを勝手にイノベーションと呼んでおり、これが経済成長をもたらすことになっている。

確かにシュンペーターは、正しい。だがその威を借りて、イノベーションや起業家を礼賛している現代の人々は間違っている。なぜなら、現在起きているイノベーションのほとんどは、産業構造を破壊し、新しい価値を人々にもたらしているのではないからだ。いわば企業覇権の交代を目指し、新しい独占構造を作り上げ「利益」(経済学的には独占的利潤、余剰利潤、レント、正当な利潤を超えた利潤のこと)を貪ろうとしているのである。響きのよい言葉のように聞こえるが「プラットフォームビジネス」などはすべてそうだし、ITの覇者のほとんどはこれだ。

なるほどなぁ~と思う。
素人である私の考えは以下のようである。

イノベーションが起きるときは、ブレイクスルーが起きていると思う。
逆に政府が実施している規制緩和は、ブレイクスルーという前提が無いと思っている。
ブレイクスルーが無いのに規制緩和しているから、その産業で問題が発生するのだと思う。
例えば、高速バス事故がそうだと思う。

イノベーションとは、起こるべくして起きると思っている。
しかし、政府の規制緩和は、一部の人の意見をもとに実施しているため、恣意的な行為に見える。
ブレイクスルーという前提が無いのに、恣意的に規制緩和が推し進められていると思っている。
(もちろん、良い意味での規制緩和があるので、すべての規制緩和を否定しない。あくまで、恣意的な規制緩和には問題があるということ)

ブレイクスルーとは何か。
例えば、写真のフィルムが、デジカメによって、需要が無くなると言われていた。実際に、フィルムが不要になったのだが、その当時のフィルム会社の社員は、信じていなかったという話しがある。
つまり、ブレイクスルーによって写真のフィルムに対する状況が変わったわけだ。
カメラの利用者にとっては、デジカメにより利便性が高くなったので、良かったことになる。

派遣労働の規制緩和は、どうだっただろうか。
ブレイクスルーが無いのに、経済界の要望によって規制緩和が進んだ。その結果が、現状の日本である。
部分最適化を実施して、全体最適化を疎かにした。視野狭窄である。技術革新が無いのに、実施したため、社会問題になっただけである。

経済政策を考えるときの、ひとつの考え方として、ブレイクスルーがあると思う。

トヨタが何年も前から、将来に対する危機感を言っている。
最初は、よく分からなかったが、欧州が、電気自動車への移行を進めている。ガソリン車から電気自動車へのシフト(代替手段)が進むのだろう。
これは写真のフィルムが無くなるのと同じような現象だと思う。だから、トヨタが危機感を持っているのだろう。
電気自動車のブレイクスルーが整ったのだろう。
しかし、悲しいかな水素自動車へのブレイクスルーは、まだ整っていないように思える。仮に技術的な問題をクリアしていたとしても、アーリーアダプターからアーリーマジョリティに移行するとは思えない。
本来なら、政府は、自動車業界に対して、イニシアチブを取れるように、電気自動車においてイノベーションが起きるように支えるべきだ。しかし、どうにもエコカー減税とか訳分からないことを言っている。トヨタが孤軍奮闘を強いられるのも分かる気がする。
電気自動車へのブレイクスルーは起きるべきして起こるだろうから、それに抗っても仕方がないと思う。電気自動車のブレイクスルーに対して、どれだけのイノベーションを起こせるかが、イニシアチブを取るための鍵になるのではないか。(もちろん、私などには具体的なアイデアは分かりません)

過去を振り返ると、コモディティ化が起きて、白物家電が凋落した。このコモディティ化もブレイクスルーと見做すことができると思う。このような代替手段によって、ブレイクスルーが起きるときが、ターニングポイントだと思う。
テレビ業界は、斜陽産業と言われている。これも代替手段によって、別の何かに置き換わろうとしている。
また、スマホや電子書籍によって、書店が減ってきている。
ブレイクスルーによって、産業がシフトするのは仕方がないが、何もしなければ、写真のフィルムのように消えていくだけだ。ただ変わるのではなく、経済政策によって、どう変わるかが問われているのではないか。

まず考えるのは、斜陽産業を、どうするか考えるべきだろう。
その中に、マスメディアと政治があると思っている。
現状の政治を見ていると、凋落の一途のように思う。なぜなら、日本が沈んでいるからだ、日本が沈むこと自体が、政治の凋落を表している。
例えば、総論は賛成なのに、各論になると反対ばかりになるという状況をよく見かける。取り敢えず、政権は任せるが、各論になると色々な思惑や信用が無いことから反対ばかりの状況になっているのではないか。
政治とマスメディアは、変わるためのブレイクスルーが整っていると思う。変わらなければ、写真のフィルムと同じように日本が消えるだけである。

菅政権が、行政改革を訴えている。現状の行政は、斜陽産業だろうか。私には、そうは思えない。
もちろん、IT化の遅れはあると思う。しかし、行政のIT化を進めるための、ブレイクスルーは揃っていないと思う。だから、実施するとしても時間がかかるだろう。
現状の行政改革は、恣意的な規制緩和と同類だと思う。そうだとすれば、結果は派遣労働と同じように、焼け野原になるのではないか。
今、婚姻届からハンコを無くすというニュースが流れていた。しかし、重要なのはハンコを無くすことではなくIT化ではないのか。
また、人生のなかで、婚姻届をどれだけ使うのか。頻度を考えれば、優先すべき事項ではないだろう。
どうにも昭和のおっさんの発想に思える。ITとはインフォメーションテクノロジーである。つまり情報技術だ。どうにも抽象的な情報よりも、物体的なイメージで捉えている節がある。
ついでに書くと、行政のIT化の名のもとに、どさくさ紛れで行政改革を断行しているのには、呆れ果てる。

素人ながらに私は、自動車産業、マスメディア、電子書籍、電子通貨、セキュリティ、エネルギー産業、政治へのテコ入れが重要だと思う。

問題は、ブレイクスルーが起きて、産業が変わるときに、従前のビジネスモデルが通用しなくなることだ。
ビジネスモデルが変われば、利益率も変わる。しかし、日本には、年功序列と終身雇用がある。
年功序列と終身雇用があるため、従前のビジネスモデルに固執しなければならない。なぜなら、利益を確保できなくなるからだ。
日本型雇用は、型に嵌まれば強いと思うが、変化には鈍重である。そして、滅私奉公を前提とした雇用システムだから、これを変えるには、それなりの時間を要する。だから、日本は既存のビジネスモデルに固執して、手遅れになっているのだろう。

私は、社会民主主義に近づけば良いと思っているのだが、ネットを見ていると資本主義を信奉している人達が多い。
技術革新がなく、パラダイム・シフトもないのに、規制緩和という名のもとに、特定の産業が狙われる。そこに市場原理はあるのか。
市場原理を考えれば、斜陽産業やブレイクスルーが起きるであろう産業をターゲットにするべきだろう。
資本主義を信奉している人達は、市場原理を無視したような規制緩和を、どう考えているのだろうか。

繰り返して書くが、日本の凋落を招いている政治は、斜陽産業と言うのに等しい。そんな政治に対して、テコ入れするのは、どの規制緩和の政策よりも優先度が高いはずだ。

(素人が、憶測で書いているだけなので、鵜呑みにしないでください。また、文章のまとまりが無く、カタカナが多いのは、素人だからです。そして、こんな面倒なブログはもう書かない)

「俺がガンダムだ」(ダンダムOO)

(*´ω`*)モキュ

 

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2020年10月10日 (土)

「一律の昇給が無くなると何がどう変わるの?」。まぁ、そうだよなぁ。

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一律の昇給が無くなると何がどう変わるの?と思ったときに読む話
https://blogos.com/article/489787/
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本社の花形事業部に配属された人間も、地方の営業所に配属された人間も、等しく勤続年数に応じて昇給していく。言い換えるなら、一律の昇給というのは、日本型組織を安定させるストッパーのようなものだったんです。

それを見直すのであれば「君は地方の営業所に配属するから組織への貢献度も少ないし昇給額も少ないのはしょうがないよね」というのを納得させるロジックが必要となるわけです。

面白いなぁ。少し感想です。

日本は、年功序列と終身雇用と言われているが、それよりも滅私奉公が重要なのだろう。
年功序列と終身雇用が、実質的に壊れていたとしても、それを認めると滅私奉公が機能しなくなる。
滅私奉公が機能不全になると、日本の労働環境は崩壊するのではないか。
日本型雇用とは、年功序列と終身雇用の代わりに、滅私奉公が求められることが、ベースになっていると思う。

上記の文章をすこし補足するなら、花形ではない地方の営業所に配属されたとしても、年功序列があるから将来は豊かになると考えることができた。つまり、後払いシステムだ。
滅私奉公が機能するのは、年功序列と終身雇用という後払いシステムがあるからだと思う。

後払いシステムが無くなるのなら、即金で支払えとなると思うのだが、はてさてどうなるのか。
最近、話題になっているジョブ型も、よく見ると、ベースとなる滅私奉公は頑強であり、そして後払いシステムになっていることに気づくと思う。
会社に依存している雇用システムなのだから、本質的にはメンバーシップ型雇用から何も変わってはいない。

菅政権が始動して、色々な経済政策が出てきているようだが、少し思うところがある。その辺りのことを書きたいのだが、なかなか素人には難しい。う~ん、頑張って書くか。

(*´ω`*)モキュ

 

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2020年10月 3日 (土)

「菅首相が掲げる「自助」「共助」「公助」の本当の意味」。十人十色。

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菅首相が掲げる「自助」「共助」「公助」の本当の意味
https://diamond.jp/articles/-/248616
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すこし感想です。

菅総理は自民党総裁選の時から自らの政策理念として「自助・共助・公助」を掲げており、これに対して野党は「まず自助というのは政府の役割を放棄しているに等しい」と批判している。筆者はその批判はかなり的外れなものであると考えている。

色々な人が、「自助・共助・公助」について述べています。内容は、それぞれ違います。
そして、これは解釈の仕方で、どうにでもなるので、正解は無いと思っています。
書き手が、どのように説得するかではなく、読み手が、どのように解釈するかだと思っています。

「自助・共助・公助」は小さい政府を表していると言っている人がいたので、私はその考え方に賛同しています。
なぜなら、自己責任論が話題になっているときに、自民党が積極的に行動した記憶がないからだ。

「自助・共助・公助」、実はこの言葉はずいぶん以前から使われており、特に菅総理が新しく言いだしたわけではない。特に社会保障分野においては「自助・互助・共助・公助」として4つに分けるのが一般的だ。これについては年金、介護、医療等々、様々な分野でこうした区分けによる考え方が存在するが、筆者が関心を持っている年金分野では主に「老後の生活を支える手段及び考え方」として、この4つの“助”が使われている。

数年前(?)だろうか、社会保障の分野で「自助・互助・共助・公助」という言葉がでてきた。
従来の「自助・共助・公助」に「互助」が足されていた。
これは、地域での助け合いを明確にするために、互助という分類を敢えて追加したように思える。
それまでは、地域の助け合いは、共助に属していると思っていた。
そのため、古くからある自民党が言っている「自助・共助・公助」には「互助」が無いのだと思う。

そもそも公的年金制度が出来たのはそんなに大昔のことではない。現在の厚生年金法の前身は戦時中の1942年6月に施行された「労働者年金保険法」だが、最初は民間企業で現業に従事する男性が対象であった。その後、女性や事務系の労働者にも適用が拡大されたのは1944年であるからほぼ終戦の頃といってもいい。さらに国民年金法によって1961年に国民年金がスタートし、現在の国民皆年金制度となった。

戦争の費用のために年金の制度が作られたと、何かで見た気がする。
42年や44年は、第二次世界大戦の時期だ。(1942と言えば、シューティングゲーム。懐かしい)
終戦は1945年8月だ。

公的年金が「公助」だと勘違いしている人もいるが、それは少し違う。「公助」というのは、そういった助け合いの仕組みからも漏れてしまった人たちを最後に救うための手段であり、言わばセーフティーネットの役割である。1つの例を挙げれば「生活保護制度」などがこれにあたる。「共助」である公的年金制度は、そのメリットを享受する人たちが互いにその費用を負担し合うのが基本である。すなわち公的年金の本質は「保険」であるから、保険料を払った人だけが年金を受給する権利があるのが当然なのだ。よく言われるのは「公的年金」の役割は“防貧”、すなわち年をとって働けなくなった時に収入がなくなって貧困に陥ることを防ぐのが最大の目的であるとされる。

社会保険について少し調べれば、年金を共助というのは、語弊があることが分かる。
 年金は保険料だけでなく税金も投入されていること。
 強制加入であること。
 給付・反対給付均等の原則が違うこと。
年金は、公助が補っている部分があるため、公助とも言える。
もちろん、共助とも言るし、筆者の説明が間違っているわけではない。そのような説明の仕方もあると思う。

純粋に共助を考えるならば、民間保険をイメージしたほうが早い。
ちなみに、労働組合は互助らしい。

そもそも人が生きて生活を営む上においては、まず自らが働くことが第一であるのは言うまでもないからだ。したがって最も大事なことは誰もが働ける内は、そして働く意思があれば長く働くことができ、しかも満足できる報酬を得ることができるようにすることである。そのために大切なことは経済が成長し、企業が収益を上げられるようにすることが重要だ。すなわち「自助」という言葉の裏に隠された重要なキーワードは「経済の成長」なのである。デジタル化の推進も規制改革もそのための手段であるに過ぎない。

「自助」を否定する人は、ほとんどいないと思う。
問題は「自助=自己責任論」の蔓延である。
就職氷河期世代は、自己責任論のもとに、非正規労働に耐え、もしくはブラック企業に耐え、そして、非正規労働者ゆえに、職業形成が進まず、低賃金による家族形成や資産形成が進まず、そんな人達が、今更、自助と言われて、何を思うのか。

時間というものは残酷である。職業形成できなかった非正規労働者が、高齢になって出来る仕事などあるはずがない。そんな労働者が、自助を否定して、公助を望むことが、そんなにおかしいことか。
結局、日本が低い能力の人材で溢れかえっているのは、政府の自己責任であり、政府が自助努力を怠っていたからだろう。
そして、そんな政治家や官僚を許容している国民の自己責任であり、国民が自助努力を怠っていたからだろう。

最近、ベーシックインカムの話題をよく見るが、月7万円の生活保障で、生活保護が無くなり、健康保険も全額負担になるような話しがある。
障害者のなかには生活保護を受給している人もいると思う。
そんな、障害者が月7万円で、医療費も全額負担になったら、どうやって生活するのか。
ほとんどの障害者は、自助ではなく、始めから、共助や公助を前提としているはずだ。
健康で文化的な最低限度の生活には、ほど遠い。

もしも、自助を肯定するのなら、無人島でひとりで暮してみるべきだ。
社会のなかのインフラ自体が、そもそも広い意味での共助である。
そして、支払い能力があるのに、税金や保険料を低くしようとする輩は、共助に乗っかるフリーライダーだと思っている。
自助よりも、まずは、そんなフリーライダーへの支払いを求めるべきだ。

自助を言われたときは、共助や公助への負担の公平を訴えればいい。おそらく嫌な顔をする人達がいるはずだから。

繰返しになるが、色々な人が「自助・共助・公助」について述べている。そして、それが間違っているとは思わない。

(憶測で書いている部分もあるので、間違っていたときはゴメンナサイ)

(*´ω`*)モキュ

 

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2020年9月28日 (月)

「「日本の宝・中小企業」をイジメる菅総理は、「悪」なのか」。草刈り場。似て非なるもの。

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「日本の宝・中小企業」をイジメる菅総理は、「悪」なのか
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2009/22/news013.html
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すこし感想です。

中小企業経営者、また彼らからよく相談に乗るコンサルタントの皆さんが猛反発。ネットやSNSに寄せられる怒りのコメントを要約すると、ざっとこんな感じだ。

「企業規模が大きくなると生産性や賃金が上がるなんて話はデマだ! 小さい会社には世界に誇る高い技術力や人材の強みがあるのだ!」

「現実を分かっていない弱者イジメだ! 小さくても技術力の高い町工場などが大企業に吸収されろというのか!」

「中小企業を目の敵にするのではなく、すべての会社が生産性を上げられるようにすべきだ!」

前にアトキンソン氏の記事で、中小企業の中には世界に誇る高い技術力を持っている会社もあると書いていたので、それを踏まえたうえでの提案だろう。
そして、世界に誇る高い技術力を持っている会社が、これ位のことで潰れるとは思えない。

中小企業経営者が、株主や外部監査から厳しい目にさらされる大企業経営者と比べ物にならないほど、会社を私物化しやすいことに異論を挟む者はいないだろう。全国に、自分の財布と会社の財布をごちゃ混ぜにして、夜の交際費や高級外車を経費として計上する中小企業経営者が山ほどいる。愛人を秘書や経理担当者として働かせていたなんて話もドラマの中だけではなく、そのへんで普通によく聞かれる。

なんとなくの私物化しているイメージを持っているのだが、こうしてハッキリと書かれると、やっぱりそうなのかと思ってしまう。

『もっとも注目したいデータは1975年以降1995年までの企業の増減の中身です。この間、日本企業は約170万社増えますが、そのうち、約150万社が従業員数10人未満の企業です。もっとも生産性の低い、給料が少ない企業です。この増え方は異常ですし、それ以上に重視したいことは、それらの企業の多くが20年経っても従業員数10人未満のままで、伸びていないことです』(P.106)

64年を境に日本では中小企業保護政策の追い風を受けて、小さな会社がドカンと増えた。優遇されるところに新規参入や起業が活発になるのは当然だし、それ自体は悪いことではない。問題はこの大量にあふれた小さな会社が10年、20年経ってもまったく成長せず、「現状維持」を続けていることだ、とアトキンソン氏は指摘している。

私は、ゾンビ企業には退場してほしいと思っている。
最低賃金は、上げてほしいと思っている。最低賃金も払えないような企業には退場してほしいと思っている。
しかしながら、規模が大きくなれば効率的になると思っているが、中小零細企業を統合していくのは難しいと思っている。

さて、素人ながらに、何がマズイのか考えてみる。

家族経営的な中小零細企業に、経営論理が通じるか怪しい。統合しても、不協和音になるだけでは?
そして、そこから抜け落ちる人が多くいると思う。急激にやれば、再雇用や起業よりも、失業者が多くなってしまう。

中小零細企業を統合したときの、利益はどこに行くのか。投資家が寄ってきて、草刈り場になるのではないか。
包丁は料理の道具ではあるが、使う人によっては凶器となる。毒は使い方によっては薬にもなるが、さりとて、取り扱いが難しい。銃も同じである。つまり、使い方次第だ。悪用する人に、使わせてはいけない。似て非なるものである。

日本は、メンバーシップ型雇用であり、年功序列だ。
人生を会社に依存しているため、会社が変わることは、人生が変わることに等しい。
しかも、退職することによって、勤続年数が短くなれば給与も低くなる。労働者にとっては、不都合でしかない。
余談だが、そう考えると、派遣労働と言うものが、如何にメンバーシップ型に反したものかということが分かる。

従業員が数人しかいない零細企業は、自営業の部類だと思う。
つまり、家族経営している自営業や、フリーランスと同じような位置づけになると思う。
日本は、メンバーシップ型であり、年功序列という慣習だから、自然と自営業型の零細企業が増えるのだと思う。(あくまで、憶測)

繰返して書くが、日本にとって、会社の構成を変えるということは、労働者の人生を変えることだと思う。
しかしながら、新しい起業による企業の新陳代謝は重要だと思う。
それによって、メンバーシップ型が、徐々にジョブ型へ切替わるかもしれないし、イノベーションが起こり、新しい産業にシフトするかもしれない。

そう言えば、最近、構造改革とか規制緩和というフレーズが多くなってきた。
貧困化が進んでいることを考えれば、一番の岩盤規制は富裕層だと思うのだが、なぜかその様な話しにはならない。
また、特定の産業をターゲットにして規制緩和しても、投資家の草刈り場になって、むしろ日本の国力が落ちている気がする。
国民は、その経済政策が、国力の増強につながっているか、よく注視したほうがいい。

(*´ω`*)モキュ

 

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«「ちょっと政治と向き合うのが嫌になってしまった」。政局には関わらないほうがいい。