「貧困JKバッシング」。皆で貧困の自慢大会しているのか?
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NHK「貧困女子高生」報道へのバッシングは、問題の恐るべき本質を覆い隠した
https://www.buzzfeed.com/kotahatachi/behind-nhk-hinkon?utm_term=.icm9ZyoDQn#.dhEOx4R69n
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NHKの貧困特集のバッシングが目につきます。
このバッシングしている人達は「これは貧困でなく甘えである」とか「もっとやりくりして生活できる」とか言っています。
それって、つまりはバッシングしている人達も貧困であるということか?
バッシングしている人達は、自分達が貧困であるという自覚が無いのだろうか?
自覚が無いことが、すなわち貧困である証明なのかもしれない。
そうだとすると、貧困者同士で罵り合いながら、自虐的行為を行っていることになります。
資本主義というのは、構造的に貧困層が作られます。
誰かが儲ければ、誰かが損します。(当たり前です)
誰かが富裕層になれば、誰かが貧困層になります。
時々、富裕層が増えているようなニュースを見かけますが、それは、すなわち貧困層が増えていることになります。
また、日本では加点主義ではなく、減点主義の傾向が強いです。(私の偏見か?)
すなわち、優れたものを評価するのでなく、劣っているものを叩く傾向があるように見えます。
(減点主義を否定している訳ではありません。要は使い方に問題があると言っています)
なぜ、劣っているものに執着して、優れているものを称賛しないのでしょうか?
この話題を見ていて気づくことは、論点が2つあるということです。
ひとつ目は、NHKの報道としての姿勢の是非。
ふたつ目は、相対的貧困の貧困に対する是非。
このふたつが、混在して言い合っているので、どうにも議論がチグハグです。
相対的貧困の貧困に対して反論しているのに、なぜか、NHKの報道が問題だと意見する人がいて、論点を置き換えていると文句を言う人がいます。
それぞれ主張したいことは違うのだから、もう少し相手の意見を汲むべきではないだろうか?
ちなみに、私はNHKの報道については、分からないので書きません。
相対的貧困について言えば、OECDでデータを公表している訳で、何かしらの意味があるから公表していると解釈しています。
どこの国でもそうですが、私は、格差が拡がり富裕層と貧困層に深い溝ができることは、国として喜ばしいことだとは思いません。
もし、バッシングしている人達が、相対的貧困が貧困で無いと言うのならば、OECDに対して相対的貧困のデータは無意味だから削除してほしいと訴えればいいと思います。
もっとも、子どものいる単身家庭の相対貧困率が、OECDのランキングで日本は最下位です。
そして、このバッシングの対象者は母子家庭らしいです。
この様な状況で、OECDのデータは無意味だと言う行為は、大変恥ずかしいことだと思いますが、どうにもバッシングしている人達は、OECDに訴えたいようです。
また、アニメグッズを買っていると指摘されているが、絶対的に収入額が少ないことが問題なのです。
そのため、その少ない額でやりくりせざる負えなくて、どこかに無理がでていると思います。
ただし、パソコンの購入については、指摘されているように、もう少しやりようもあると思います。
しかしながら、仮にアニメーション用にパソコンを購入したいのならハードルが上がるため厳しい気がします。
(何の目的でパソコンが必要なのか知らないので、見当違いのときはゴメンナサイ)
何にしても、やりくりする考えに到らず、社会勉強が不足していることは貧困の特徴と言えるかもしれません。(私の偏見か?)
貧困に対する最大の防御は勉強することだと考えます。身を守るために勉強するべきだし、独学である程度は可能だと思います。
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最後に、個人的なことを言うと、私は長時間労働が嫌いです。
長時間労働で、連日、1時や2時に帰ってくることもありました。
こんな生活してたら、そのうち死ぬんじゃないかと思いました。
もちろん、個人差もあるのでしょうが、私は、ほとほと長時間労働が嫌になりました。
長時間労働を回避しようとすると、途端に貧困層に陥ります。
そうかといって、優れた能力や技術もありません。右往左往するだけです。
私のようにポンコツな人間は、どうすればいいのだろうか?
死ぬことを前提に努力して、長時間労働に耐えるべきなのだろうか?
過労死や過労自殺という労働災害がありますが、弱者から過労死や過労自殺していく社会は健全なのだろうか?
なぜ、日本の労働環境は、耐久レースになっているのだろうか?
安く人を使う発想しかない「発想の貧困」や、安く人を使うしか術を知らない「資質の貧困」などは問題があると思います。
いやはや貧困とは恐ろしいです。
(◎´∀`)ノ