「東京五輪ボランティアをやっぱり「やりがい搾取」と言いたくなるワケ」。ボランティアとは何ぞな。
最近、家のことが忙しくて、なかなかブログが書けないなぁ。
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東京五輪ボランティアをやっぱり「やりがい搾取」と言いたくなるワケ
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57143
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さて、なかなか面白い。読んでみると妙に納得してしまう。
「アトランタ五輪の失敗を受けて、国際オリンピック委員会(IOC)は五輪の運営に行政の関与を求めるようになった。今はボランティアの募集、選考、研修を公的機関が一定のコストをかけて行う。ボランティアの研修不足が懸念された大会(アトランタ五輪やシドニー五輪など)では多くの問題が起きてしまった。
ボランティアに支払うお金がかからないとしても、彼ら・彼女らが円滑に働けるようにするためには、責任を持って十分なお金と時間をかけて環境を整えなければならない。その意味では「安上がり」では決してない。」
一般的に、ボランティアとは無償の善意だと言われるが、私もそう思う。
私は、ボランティアなどが居なくても、スタッフだけで大会運営できなければウソであると考える。
スタッフが一生懸命に頑張り、且つ、選手も頑張り、そのなかで善意の国民がボランティアとしてスタッフや選手もしくは大会運営をサポートしたいと思うのが普通だと思う。
つまり、当初からボランティアを頭数に入れているのはおかしいのである。十分なスタッフを揃えた場合に採算が合わないのなら、それは当初から計画が破綻しているのだ。
私は、善意のボランティアがスタッフをサポートすることにより、大会運営に余裕が生まれ、その余裕があるからこそスタッフや選手が大会を楽しめるのだと思う。
「東京五輪では早い時期から大会ボランティア8万人という数字を掲げてきたが、「過去最多」という称号を手にしたいからのようにも思える。」
そんな称号を得て、どうするのだろう。馬鹿くさい考えだ。
「五輪の理念に共感したり、単に異国で様々な国の人と「祭り」を楽しみたいといった理由からだ。」
「自分を成長させたいとか他者と繋がりたいとか、めったにできない経験をしたいという個人の「小さな物語」をフックとしながら活動するのが一般的である。この傾向は五輪のようなお祭り騒ぎの時に顕著になる。」
楽しむための祭りであって、楽しめないのなら祭りではないだろう。
楽しめている人達は、どれくらいなのか。少なくとも半数以上の人達は楽しめているのか。
「長野冬季五輪のときに前例がある。この時のボランティアは約3万5千人とされるが、この中には自治会や消防団、婦人会などの地域団体、経済団体、労組などに協力を要請して動員された人も多く含まれていた。」
「中間集団を通じた動員は、日本のお家芸である。1964年東京五輪のときも、大学や企業を通じて運転や通訳、会場整理の人員が集められた。また都内では地域組織が中心となって、海外の人から見て恥ずかしくないように地域の改善運動が展開された。復興した日本を世界に見てほしいという「大きな物語」が社会を覆い、「公徳心」という言葉が睨みを利かせていた。
現在は「大きな物語」も地域組織も空洞化しているが、大きなスポーツ大会があって人手が足りないとき、地方自治体や地域の大学・企業などにボランティアの要請が行われる構造は変わらない。」
今はSNSですぐに情報が共有される。動員などがブラックならば、ネットはすぐにお祭り騒ぎになると思うのだが、どうだろうか。
まぁ、それはそのときにならないと分からない。しかし、昔なら事後に文句が出ただろうが、今はネットが反応するから事前に炎上する可能性が高いと思う。
このあたりの認識を運営側が持っているのか、少し気になる。
そう言えば、暑さ対策が話題になっているが、暑さで死人が出るかもしれないと言われている。確かに、選手やスタッフ、お客さん等へ配慮が必要だろう。
そんな記事を見ていると、国立競技場の工事で自殺した人を思い出してしまう。
思い出すと全てがネガティブに見えてくる。またもや、ザルみたいな対応で弱い立場の人達が苦しむのだろうか。あぁ、嫌になる。
「五輪ボランティアの意義についてユニークな考え方をしていたのはロンドン五輪である。そこでは、五輪ボランティアは社会的包摂(ソーシャルインクルージョン)の一環として位置づけられ、求職者や非正規労働者が事前研修や大会での経験を通して雇用可能性を高め、就職や昇進につなげることが期待された。その主なターゲットは若者層である。実際にロンドン五輪の若者のボランティアは、履歴書の見栄えを良くするために参加したという動機をあっけらかんと語る傾向があった。雇用者側もボランティア経験のある学生への期待値は高いという知見があり、求職者にとって五輪ボランティアは合理的な選択である。」
面白いとは思うのだが、履歴書とか言われるとげんなりする。
結果として、社会参加がその人の人生を豊かにするならば、良い考え方だと思うのだが、私なぞにその是非は分からない。
最後に、何かと無償の提供を国民に求めているが(例えば、携帯電話とか)、これが「大きな物語」のためであり国民を誘導しているとしたら違和感を感じる。
そのようなものは、本来、自然発生するから盛り上がると思うのだが、見ているとどうにも気持ち悪い。
当初の話しと違う部分も多くなったので、今更ながらに止めればいいと思う。
これで本当に盛り上がるのだろうか。ちなみに私は今のところ無関心である。
(´・ω・`)ショボーン
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東京五輪ボランティアをやっぱり「やりがい搾取」と言いたくなるワケ
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57143
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さて、なかなか面白い。読んでみると妙に納得してしまう。
「アトランタ五輪の失敗を受けて、国際オリンピック委員会(IOC)は五輪の運営に行政の関与を求めるようになった。今はボランティアの募集、選考、研修を公的機関が一定のコストをかけて行う。ボランティアの研修不足が懸念された大会(アトランタ五輪やシドニー五輪など)では多くの問題が起きてしまった。
ボランティアに支払うお金がかからないとしても、彼ら・彼女らが円滑に働けるようにするためには、責任を持って十分なお金と時間をかけて環境を整えなければならない。その意味では「安上がり」では決してない。」
一般的に、ボランティアとは無償の善意だと言われるが、私もそう思う。
私は、ボランティアなどが居なくても、スタッフだけで大会運営できなければウソであると考える。
スタッフが一生懸命に頑張り、且つ、選手も頑張り、そのなかで善意の国民がボランティアとしてスタッフや選手もしくは大会運営をサポートしたいと思うのが普通だと思う。
つまり、当初からボランティアを頭数に入れているのはおかしいのである。十分なスタッフを揃えた場合に採算が合わないのなら、それは当初から計画が破綻しているのだ。
私は、善意のボランティアがスタッフをサポートすることにより、大会運営に余裕が生まれ、その余裕があるからこそスタッフや選手が大会を楽しめるのだと思う。
「東京五輪では早い時期から大会ボランティア8万人という数字を掲げてきたが、「過去最多」という称号を手にしたいからのようにも思える。」
そんな称号を得て、どうするのだろう。馬鹿くさい考えだ。
「五輪の理念に共感したり、単に異国で様々な国の人と「祭り」を楽しみたいといった理由からだ。」
「自分を成長させたいとか他者と繋がりたいとか、めったにできない経験をしたいという個人の「小さな物語」をフックとしながら活動するのが一般的である。この傾向は五輪のようなお祭り騒ぎの時に顕著になる。」
楽しむための祭りであって、楽しめないのなら祭りではないだろう。
楽しめている人達は、どれくらいなのか。少なくとも半数以上の人達は楽しめているのか。
「長野冬季五輪のときに前例がある。この時のボランティアは約3万5千人とされるが、この中には自治会や消防団、婦人会などの地域団体、経済団体、労組などに協力を要請して動員された人も多く含まれていた。」
「中間集団を通じた動員は、日本のお家芸である。1964年東京五輪のときも、大学や企業を通じて運転や通訳、会場整理の人員が集められた。また都内では地域組織が中心となって、海外の人から見て恥ずかしくないように地域の改善運動が展開された。復興した日本を世界に見てほしいという「大きな物語」が社会を覆い、「公徳心」という言葉が睨みを利かせていた。
現在は「大きな物語」も地域組織も空洞化しているが、大きなスポーツ大会があって人手が足りないとき、地方自治体や地域の大学・企業などにボランティアの要請が行われる構造は変わらない。」
今はSNSですぐに情報が共有される。動員などがブラックならば、ネットはすぐにお祭り騒ぎになると思うのだが、どうだろうか。
まぁ、それはそのときにならないと分からない。しかし、昔なら事後に文句が出ただろうが、今はネットが反応するから事前に炎上する可能性が高いと思う。
このあたりの認識を運営側が持っているのか、少し気になる。
そう言えば、暑さ対策が話題になっているが、暑さで死人が出るかもしれないと言われている。確かに、選手やスタッフ、お客さん等へ配慮が必要だろう。
そんな記事を見ていると、国立競技場の工事で自殺した人を思い出してしまう。
思い出すと全てがネガティブに見えてくる。またもや、ザルみたいな対応で弱い立場の人達が苦しむのだろうか。あぁ、嫌になる。
「五輪ボランティアの意義についてユニークな考え方をしていたのはロンドン五輪である。そこでは、五輪ボランティアは社会的包摂(ソーシャルインクルージョン)の一環として位置づけられ、求職者や非正規労働者が事前研修や大会での経験を通して雇用可能性を高め、就職や昇進につなげることが期待された。その主なターゲットは若者層である。実際にロンドン五輪の若者のボランティアは、履歴書の見栄えを良くするために参加したという動機をあっけらかんと語る傾向があった。雇用者側もボランティア経験のある学生への期待値は高いという知見があり、求職者にとって五輪ボランティアは合理的な選択である。」
面白いとは思うのだが、履歴書とか言われるとげんなりする。
結果として、社会参加がその人の人生を豊かにするならば、良い考え方だと思うのだが、私なぞにその是非は分からない。
最後に、何かと無償の提供を国民に求めているが(例えば、携帯電話とか)、これが「大きな物語」のためであり国民を誘導しているとしたら違和感を感じる。
そのようなものは、本来、自然発生するから盛り上がると思うのだが、見ているとどうにも気持ち悪い。
当初の話しと違う部分も多くなったので、今更ながらに止めればいいと思う。
これで本当に盛り上がるのだろうか。ちなみに私は今のところ無関心である。
(´・ω・`)ショボーン
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