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2020年10月 3日 (土)

「菅首相が掲げる「自助」「共助」「公助」の本当の意味」。十人十色。

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菅首相が掲げる「自助」「共助」「公助」の本当の意味
https://diamond.jp/articles/-/248616
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すこし感想です。

菅総理は自民党総裁選の時から自らの政策理念として「自助・共助・公助」を掲げており、これに対して野党は「まず自助というのは政府の役割を放棄しているに等しい」と批判している。筆者はその批判はかなり的外れなものであると考えている。

色々な人が、「自助・共助・公助」について述べています。内容は、それぞれ違います。
そして、これは解釈の仕方で、どうにでもなるので、正解は無いと思っています。
書き手が、どのように説得するかではなく、読み手が、どのように解釈するかだと思っています。

「自助・共助・公助」は小さい政府を表していると言っている人がいたので、私はその考え方に賛同しています。
なぜなら、自己責任論が話題になっているときに、自民党が積極的に行動した記憶がないからだ。

「自助・共助・公助」、実はこの言葉はずいぶん以前から使われており、特に菅総理が新しく言いだしたわけではない。特に社会保障分野においては「自助・互助・共助・公助」として4つに分けるのが一般的だ。これについては年金、介護、医療等々、様々な分野でこうした区分けによる考え方が存在するが、筆者が関心を持っている年金分野では主に「老後の生活を支える手段及び考え方」として、この4つの“助”が使われている。

数年前(?)だろうか、社会保障の分野で「自助・互助・共助・公助」という言葉がでてきた。
従来の「自助・共助・公助」に「互助」が足されていた。
これは、地域での助け合いを明確にするために、互助という分類を敢えて追加したように思える。
それまでは、地域の助け合いは、共助に属していると思っていた。
そのため、古くからある自民党が言っている「自助・共助・公助」には「互助」が無いのだと思う。

そもそも公的年金制度が出来たのはそんなに大昔のことではない。現在の厚生年金法の前身は戦時中の1942年6月に施行された「労働者年金保険法」だが、最初は民間企業で現業に従事する男性が対象であった。その後、女性や事務系の労働者にも適用が拡大されたのは1944年であるからほぼ終戦の頃といってもいい。さらに国民年金法によって1961年に国民年金がスタートし、現在の国民皆年金制度となった。

戦争の費用のために年金の制度が作られたと、何かで見た気がする。
42年や44年は、第二次世界大戦の時期だ。(1942と言えば、シューティングゲーム。懐かしい)
終戦は1945年8月だ。

公的年金が「公助」だと勘違いしている人もいるが、それは少し違う。「公助」というのは、そういった助け合いの仕組みからも漏れてしまった人たちを最後に救うための手段であり、言わばセーフティーネットの役割である。1つの例を挙げれば「生活保護制度」などがこれにあたる。「共助」である公的年金制度は、そのメリットを享受する人たちが互いにその費用を負担し合うのが基本である。すなわち公的年金の本質は「保険」であるから、保険料を払った人だけが年金を受給する権利があるのが当然なのだ。よく言われるのは「公的年金」の役割は“防貧”、すなわち年をとって働けなくなった時に収入がなくなって貧困に陥ることを防ぐのが最大の目的であるとされる。

社会保険について少し調べれば、年金を共助というのは、語弊があることが分かる。
 年金は保険料だけでなく税金も投入されていること。
 強制加入であること。
 給付・反対給付均等の原則が違うこと。
年金は、公助が補っている部分があるため、公助とも言える。
もちろん、共助とも言るし、筆者の説明が間違っているわけではない。そのような説明の仕方もあると思う。

純粋に共助を考えるならば、民間保険をイメージしたほうが早い。
ちなみに、労働組合は互助らしい。

そもそも人が生きて生活を営む上においては、まず自らが働くことが第一であるのは言うまでもないからだ。したがって最も大事なことは誰もが働ける内は、そして働く意思があれば長く働くことができ、しかも満足できる報酬を得ることができるようにすることである。そのために大切なことは経済が成長し、企業が収益を上げられるようにすることが重要だ。すなわち「自助」という言葉の裏に隠された重要なキーワードは「経済の成長」なのである。デジタル化の推進も規制改革もそのための手段であるに過ぎない。

「自助」を否定する人は、ほとんどいないと思う。
問題は「自助=自己責任論」の蔓延である。
就職氷河期世代は、自己責任論のもとに、非正規労働に耐え、もしくはブラック企業に耐え、そして、非正規労働者ゆえに、職業形成が進まず、低賃金による家族形成や資産形成が進まず、そんな人達が、今更、自助と言われて、何を思うのか。

時間というものは残酷である。職業形成できなかった非正規労働者が、高齢になって出来る仕事などあるはずがない。そんな労働者が、自助を否定して、公助を望むことが、そんなにおかしいことか。
結局、日本が低い能力の人材で溢れかえっているのは、政府の自己責任であり、政府が自助努力を怠っていたからだろう。
そして、そんな政治家や官僚を許容している国民の自己責任であり、国民が自助努力を怠っていたからだろう。

最近、ベーシックインカムの話題をよく見るが、月7万円の生活保障で、生活保護が無くなり、健康保険も全額負担になるような話しがある。
障害者のなかには生活保護を受給している人もいると思う。
そんな、障害者が月7万円で、医療費も全額負担になったら、どうやって生活するのか。
ほとんどの障害者は、自助ではなく、始めから、共助や公助を前提としているはずだ。
健康で文化的な最低限度の生活には、ほど遠い。

もしも、自助を肯定するのなら、無人島でひとりで暮してみるべきだ。
社会のなかのインフラ自体が、そもそも広い意味での共助である。
そして、支払い能力があるのに、税金や保険料を低くしようとする輩は、共助に乗っかるフリーライダーだと思っている。
自助よりも、まずは、そんなフリーライダーへの支払いを求めるべきだ。

自助を言われたときは、共助や公助への負担の公平を訴えればいい。おそらく嫌な顔をする人達がいるはずだから。

繰返しになるが、色々な人が「自助・共助・公助」について述べている。そして、それが間違っているとは思わない。

(憶測で書いている部分もあるので、間違っていたときはゴメンナサイ)

(*´ω`*)モキュ

 

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