「自由主義者は「縛り」とどう向き合うか?自由を制限する法と、自由を拡大する法」。リバタリアンとは。
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自由主義者は「縛り」とどう向き合うか?自由を制限する法と、自由を拡大する法
https://blogos.com/article/505200/
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リバタリアンという言葉が目についたので、少し感想です。
「初めて議論のテーブルを囲んだ山尾志桜里代議士からは、これからの社会における「法の支配」の重要性が強調されました。
明確に法で権限を規定することがないまま、お願いベースの「同調圧力」で政権の「解釈」で自由や人権が制限されるのは極めて不健全であり、法をきちんと制定するべきだというものです。
これは小さな政府を標榜するリバタリアン(自由主義者)たちにとって、実に奥深い論点を突きつけています。
原理的にはリバタリアンにとっては、自分たちを縛るルール=法律は少なければ少ないほどよい。
しかし、ルールや法律が「ない(少ない)」がゆえに、むしろ自由が制限される事態が生じるとしたら??
だったら法律を増やすべきではないか。
いやいやそうやって徐々に自由が侵食されていくのだから、受け入れるべきではない!
など、自由を標榜する人たちの中でも意見にグラデーションが出てくるわけです。」
「原理を貫くか、(少なくとも現時点での)合理性・現実性を取るか。
このあたりが完全なリバタリアンか、ややリバタリアン・モデレートリバタリアンを分ける境目なのだろうなと思います。」
自由主義には、リベラリズムとリバタリアニズムがあるらしい。
リベラリズム(リベラリスト、自由主義、社会自由主義?、近代自由主義)
ロールズは、基本的自由の原理、機会均等の原理、格差原理の3つを提示した。
格差原理とは、富の再配分を言っている。
リバタリアニズム(リバタリアン、自由至上主義、古典的自由主義?)
再配分は国家権力の肥大化につながるため否定的、つまり小さい政府を推奨している。福祉的な役割も民間サービスが担うという考え。
(調べていたら、色々と書かれていて分からない所が多かった。国によっても違うらしいので、鵜呑みにしないでください)
自由主義にも幅があり、リバタリアンだけで説明するのは無理がある。
アメリカは自由主義だが、どうやらリベラリズムとリバタリアニズムに分かれているらしい。
取り敢えず言えることは、貧困層に片足を突っ込んでいる私には、リバタリアンが無縁であるということ。
ちなみに、自由主義の対義語を、ネットで調べたが分からなかった。
サンデル氏が言っている共同体主義が対義語になるのだろうか? よく分からない。
その他に、誤解しそうな対義語として、社会主義:資本主義、民主主義:権威主義、全体主義:個人主義があるので気をつけたい。
「とことん『法の支配』が大事だと思う。今回は特措法を作りましょう、ということで国会がどう関与するかが議論されたが、緊急事態宣言という、あらゆる意味でしんどい仕事はやはり法律が担うべき」
特措法については、私はよく分かってないので、横に置いておく。
法の支配に関しては思うところがある。
日本は性善説を前提としていることがあるが、結果として取締りが緩くなっていると思う。
これは不満の対象となるが、今のように社会が不安定になれば、不満はより顕在化しやすくなると思う。
よくネットでは正義の名のもとに誹謗中傷が溢れていると言われる。
取締りが緩いことが、結果として、自称正義の味方を誘発しているのではないか。
そうだとしたら、性善説ではなく性悪説でシステムの再構築を検討すべきではないか。
それとも、自称正義の味方などは放置するのだろうか。
(*´ω`*)モキュ