最初に書くが、森会長の失言について興味が無い。
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俺たちの森喜朗、期待に応えて自ら東京オリンピックを台無しにする
日本における「会議」という名前の儀式の問題
https://bunshun.jp/articles/-/43302
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「「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」という短いコメントの中に凝縮された、日本の古き良きアカンことがぐるぐると頭の中を駆けめぐります。もちろん、女性蔑視だと指摘されるのも当然で、日本国内ばかりか、世界中でこの森喜朗発言が世界で報じられるにいたりました。なんでこんな本音を漏らしてしまう正直者の高齢者を、東京オリパラ組織委員会会長という国際的な要職に置いておくのか、理解が不能だというのは一般的な見方だと思うのです。」
理事会で時間がかかるのは、話しが長いか、意見が多いために、そうなっていると思った。
前に大阪市長の松井氏が、女性の買い物は時間がかかると言って批判されていた。
あくまで私の感じていることだが、仕事中心の生活か、家庭中心の生活で、優先することが違うから考え方や行動に違いがでると思っている。
もちろん、男性でも、話しが長い人はいるし、意見が多い人もいるし、買物が長い人もいるだろう。
しかし、全体的に女性は、専業主婦やパートが多くて家庭中心のため、その傾向があるように思える。
そう考えれば、女性蔑視の問題は、女性の社会への進出と男性の家事への参加という話しになってくる。
「私のような人間にとっては、森喜朗さんが時間のかかる理事会に対して批判がましい表現をしたことのほうが引っかかります。おそらく、会議なんてものはある程度、参加者の意見確認ができて根回しが終わってからやるものだ、結論が決まっていない理事会をやって、時間をかけて議論をするなんてけしからん、と考えていると思うんですよ。
言われてみれば、我が国の政治だけでなく、民間企業においても「会議」という名の連絡会には意思決定する人たちだけでなく、発言権のない多くの人たちが音に反応して横に揺れるフラワーロックよろしく置物のように参列するのが当然で、偉い人が読み上げる決定方針について「その通りでございます」と箔付けをするために開催される儀式になっていることもままあります。それは、みんなその会議に参加して異議なしで進んだのだから、この偉い人の決定で何か起きても偉い人の責任ではなく会議に参加していた全員の問題なのだという権力維持の仕組みと直結しているのもまた日本流ではないかと思います。
だからこそ、偉い人の所定の方針が定まらず、会議の中で議論をしてしまう仕組みなど時間がかかって仕方がないし、思い通りの結論にもならないからしょうもねえよな、というのが俺たちの森喜朗が言いたいことであって、ましてや女性が自由に会議で議論に参加しているなんてどうなんだよという心の叫びなんじゃないかと思うんですよね。」
上記で書いたことと違う内容である。どうやら私の思い違いのようだ。つまり、女性蔑視というより、文化の違いという話しである。
これについては、どうなんだと思うのだが、別の記事を引用する。
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森会長だけじゃない…「会議は発言する場じゃない」と言われてきた現実
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/80023
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「会議が終わって部屋を出たところで、私は役員の1人に呼び止められ、こう言われた。
「あのさ、この会議はああいう発言をする場所じゃないから」
一瞬何を言われたのかわからなかった」
「せっかく週に1度全部長が集まるのに、そこで議論しない会議なんて何の意味があるんだろう。報告だけだったら、メールでいいのに。」
ネットの記事でよく見かけるものに、長い会議や多い会議の問題というものがある。そして、記事では解決策が書かれている。
やり手の経営者なら、どうやって無駄な会議を無くすか考えるはず。
「私は森発言の背景にある、会議は発言し議論するところではなく、上のいうことをありがたく聞く場所、決まったことを追認する場所というカルチャーと、この“会食政治”は表裏一体だと思う。
これまで何人もの女性政治家に取材をしてきたが、政治家になってしんどかったことを聞くと、毎日のように顔を出さなければならない夜の会合や会食だったと答える人は多い。特に子育て中だであると、家族との時間を全く取れなくなることが政治家を続けていく上で大きなハードルになる。そしてこの慣習は、女性が立候補をするのを躊躇する大きな要因にもなっている。」
外国企業に比べて、日本企業は意思決定が遅いと言われる。こんなことしているから遅いのではないのか。
また、会議が重複しているように見えるので、やり手の経営者なら噴飯ものの無駄に見えるだろう。
これを踏まえると、日本はグローバルリズムを否定していることになる。
さて、この記事では、ズバリと家事の問題がでている。
これは、最初に書いた男性の家事への参加にも関わってくる。女性が夜の会食に参加するなら、男性が家事をやるしかない。しかし、その男性は自分の夜の会合がある。
つまり、夜の会合そのものが無理のある文化であり、女性差別とは飲みニケーションの問題だということになる。もちろん、日本が鎖国するなら問題は無いのだが、それは多様性の否定になる。
そして、飲みニケーションの撲滅運動とは誰も言わない。そんなこと言ったら、居酒屋からタコ殴りに合う。
飲みに行くなよ、残業するなよ、早く家に帰れよ、と誰も言わない。
女性蔑視だとは言っても、誰も解決する気がない。
だから、私は、森会長の失言について興味が無い。
ついでに書くと、夜の会合なんてもので楽しているから、国会の答弁がボロクソになるように思える。
意思決定が遅く、国会の答弁はボロクソ、なるほど日本が落ちぶれるわけだ。
(書くのに時間がかかってしまったため、タイミングがズレたネタになってしまった。はずかしい)
(*´ω`*)モキュ
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