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« 「最低賃金の「引上げ」はなぜ必要?」。なるほど。 | トップページ | 「共産党を批判したら「サンシタ・チンピラ」扱い!」。全体主義とは。その2 »

2021年7月22日 (木)

「共産党を批判したら「サンシタ・チンピラ」扱い!」。全体主義とは。

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共産党を批判したら「サンシタ・チンピラ」扱い!それでも共産党=全体主義と評して差し支えない理由
https://blogos.com/article/549934/
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先般から物議を醸している国民民主党・玉木代表による「全体主義=共産党」発言について、「その通りではないか」と議論に参加したところ、大変なことになりました(苦笑)。

国民民主党と日本共産党の言い合いの記事があったが、いつもの言い合いだと思って興味がなかった。
そんなとき、音喜多議員のブログが目について興味が出始めた。

最初に書いておくが、私は共産党の是非は分からない。

さて、これは言い合いであって、どこまでいっても平行線の話しである。
そのため、そのことを踏まえて国民は見たほうがいい。

言葉の定義だけで言えば、「全体主義=共産党」は成り立たない。
しかし、歴史的な事実や中国やソ連を見ると、「全体主義=共産党」というイメージは誰もが感じるところである。
つまり印象操作ということになるが、歴史的な事実を考慮すれば、その可能性が高いと感じてしまう。
音喜多議員もそのあたりの説明を最後のほうに付けている。(最後に付けているのがミソ?)

だからこそ、共産党は「日本共産党は、綱領に明記しているように民主主義と自由を何よりも大切にしている政党であり、全体主義とは対極にある政党だ」と主張しているわけだが、それを証明することは難しいだろう。
だから、どこまでいっても平行線の話しである。

だから、全体主義に陥らない生産手段の社会ってどうやってやるんですか?

この点は不快に思えた。

ネットを検索してみると、全体主義とは「政府に反対する政党の存在を認めず、また個人が政府に異を唱えることを禁ずる思想または政治体制の1つである。この体制を採用する国家は、通常1つの個人や党派または階級によって支配され、その権威には制限が無く、公私を問わず国民生活の全ての側面に対して可能な限り規制を加えるように努める。」とある。また「政治学では権威主義体制の極端な形とされる。」とある。

この件の記事のコメントを見ていたら、ファシズムという批判があった。
ファシズムから連想するのは、イタリアのムッソリーニで、さらにそこから連想するのは、ナチスのナチズムである。
そして、この2つからさらに連想するのは、大戦時の日本の軍国主義である。
共産党の全体主義を恐れるのなら、大戦時の日本の軍国主義も、同様に恐れるべきだろう。

すこし話しがずれてしまった。
しかしながら、生産手段の社会化は無理だろう。
憲法29条に「財産権は、これを侵してはならない。」とあり、私有財産は保護されている。
もしも、資本主義から共産主義に変えるのなら、これを変えなければならない。
自民党が頑張っても9条を変えることが出来ないのだから、共産党が29条を変えることは絶望的だろう。
もっとも、安倍総理が集団的自衛権に用いた解釈変更というウルトラCを使えば、もしかしたら。。。と思ってしまう。
それほどに解釈変更とは凶悪なものである。

また話しがずれてしまった。
何を不快に思うかというと、公共財についてだ。
共産主義のように生産手段の社会化は無理だとしても、公共財が資本主義に侵食されることを望ましいとは思わない。
つまり、ネオリベや小さい政府というやつだ。
例えば、図書館の民営化があったが、最近はもう聞かないが、以前はトラブルが幾つもあったと思う。
どうにも、共産主義を否定することにより、資本主義というかネオリベの勢いを維持したいように見えてしまう。

サンシタ、チンピラのくだりにあるとおり、「①危機感を深めているんだなあ、②それ、いまどき、政治宣伝としてコスパ悪いぜ」が的を射ていると思う。(サンシタ、チンピラという発言には触れない)
これは昨今言われている資本主義が行き詰っているという話題のとおりだと思う。
さらには格差拡大による国民の分断を見ても、同じことが言える。

マイケルサンデル氏といえば「これからの「正義」の話をしよう」の著書が有名である。インパクトがあって面白かった。
それよりはインパクトに欠けるが「それをお金で買いますか」という著書もある。
実はこの本を10年前に買ったはいいが、ずっとほこりを被っていて、最近になって読み始めたしだいである。
この本には、非市場的なものが市場によって取引され始めると、従来はあった道徳的規範が締め出される場合がある。という様なことが書いてある。
まぁ、何でもかんでも資本主義に放り込むべきではないということだろう。

就職氷河期世代のなかには、非正規労働などで辛酸な人生を送った人が多いと思う。
そんな人達は、派遣労働を始めとした所謂ネオリベ的なものに対して、嫌悪感を抱いていると思う。
時計の針を戻すことはできないので、そんな嫌悪感を払拭する方法はないだろう。
これは日本が過去20年引きずってきたことだが、同時に今後何十年も引きずることでもある。
つまり小さい政府みたいなことをいくら言われようとも、この嫌悪感は無くならないということである。

最後にもう一度書くが、私は共産党の是非は分からない。

(憶測で書いている所もあるので、間違っていたときはごめんなさい)

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