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装備品提供、ウクライナ支援に制約 法制度に課題
https://www.sankei.com/article/20220308-T4IJKX3LBVJKZAI34P42YIAMGI/
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「政府が防衛装備品である防弾チョッキのウクライナへの提供を決定したことは、侵攻を受けて戦闘が継続する国に対する支援としては異例の対応だ。ウクライナ政府の要請から決定に至るまでのスピードも異例の速さだった。ロシアの力による一方的な現状変更に対抗する陣営の一角として、強い意志を示した形だ。ただ、法的な制約もあり、対戦車砲などを求めたウクライナ側の要望に完全にこたえることができず、今後に課題を残した。」
私は安全保障をよく分かっていないので、素人の意見になってしまうのだが、それでもモヤモヤすることがあるので書いてみる。
防弾チョッキに反対することに対して、なぜ人命を守ることが駄目なのかという意見がある。
たしかに、人命を守ることは素晴らしいことであり、当たり前のことである。
しかし、防衛費って、自衛権のための予算ではないのか。
防弾チョッキを送ることが、自衛権なのか。
現状でウクライナを支援するのは外交のように思えるので、防衛省ではなく外務省でもいい気がする。
昔、インド洋で自衛隊が給油していたときがあったが、それと同じように思える。これって、自衛権の行使ですか。
ついでに書くと、PKOも自衛権の行使なのですか。PKOで復興支援するなら、外務省がやってもいい気がする。もちろん、PKOの復興支援自体は素晴らしいことである。
防衛装備移転三原則だが、この運用だと憲法9条に違反している気がする。
憲法9条を撤廃したい人達は、自衛隊を普通の軍隊にしたいのだろうが、普通の軍隊とは、例えば多国籍軍が編成されるときに、自衛隊が参加できることを意味する。
定義上は、防弾チョッキを送るなら、憲法9条を撤廃して普通の軍隊にしなければならないと思う。しかし、それは多国籍軍への参加を容認することになる。
この辺りの辻褄が、合っていない気がする。文官なら辻褄を合せなければならないと思う。
それが出来ないなら、シビリアンコントロールが機能していないことになる。
法律などのルールに関係なく、何でもやりたい放題ならシビリアンコントロールが機能していないことになる。
そもそも、日本は神が死んでおらず、なぜか神の国になっている。つまりデータに基づかない精神論が横行している。
それは、大戦時に勝てる見込みがないのにアメリカに戦争を吹っ掛けるような話しと同じである。
「ただ、無償提供の根拠となった改正自衛隊法116条の3は不要となった装備品を譲渡する枠組みで、29年6月の施行時はウクライナのようなケースは想定していなかった。今回の対応に当たった一人は「法の空白を突いたギリギリの判断だった」と打ち明ける。」
「ギリギリの判断」とか、よく使われるフレーズだけど、こんな言葉で誤魔化してほしくはない。
「ドイツは侵攻前のウクライナ支援として軍用ヘルメット5千個しか送らなかったことが国際社会で嘲笑を浴びたが、侵攻後は対戦車砲など殺傷兵器の提供を決定した。日本にとっては防弾チョッキの提供であっても大きな決断だったが、「昨日のドイツが明日の日本」にならないためにも法制度の見直しを含めた検討が必要になる。」
繰り返し書くが、憲法9条を撤廃して、多国籍軍に参加できるようにしますか?
もっとも、精神論が横行している神の国なのだから、すでにやりたい放題だろう。
そして、国民がこんな政治や社会を選んでいるのだから、仕方がない。まぁ、いいんじゃないか。ヽ( ゜ 3゜)ノ
(安全保障はよく分からないので鵜呑みにしないでください。間違っていたときはゴメンナサイ)
|ω·`)
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