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2024年7月の4件の記事

2024年7月13日 (土)

「「石丸フィーバー」なぜ起きた?」。なぜ、これで日本がよくなると思えるのだろうか。

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「石丸フィーバー」なぜ起きた? 「政治が面白い」「人柄を信じられる」と無党派層に言わせた独自の戦略
https://www.tokyo-np.co.jp/article/338573
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7日に投開票された東京都知事選で、東京では全く新顔の前広島県安芸高田市長、石丸伸二氏(41)が、立憲民主党や共産党などが支援する前参院議員の蓮舫氏(56)を押さえて2位となる見通しだ。主要政党や組織の支援を受けない石丸氏の選挙戦で実動部隊を担い、「石丸フィーバー」(選対幹部)を演出したのは、どんな人たちだったのか。

都知事選で、石丸伸二氏について、ほぼ知りませんでした。
これだけ話題になったので、どんな政策なんだろうと思って、すこし検索したのだが、特別すごいことを言っているように思えなくて、よく分からなかった。
ただし、マスメディアの質疑応答への返しは、キレていた。なるほど、頭がいい。
むしろ、抽象的な質問ばかりするマスメディアは、如何なものか。ちゃんと仕事してほしい。
私が不信感を感じるのは、読書感想文のような話しとか、政局の話しが多かったりする場合である。もっと、真面目な政治の話しを聞きたい。

投票率 60%くらい
有権者数 1100万人くらい
有権者数に対する票の割合(得票率ではない。得票率とは有効投票に対する割合)
 小池百合子 25%くらい
 石丸伸二 14%くらい
 蓮舫 11%くらい

都民のうち、14%くらいの人が石丸伸二氏を応援したことになる。まあ、こんなもんだろう。
何となく、小泉フィーバーを思い出す。お祭り騒ぎになるけど、実感なき好景気のように庶民は置き去りにされるかもしれない。そんなイメージしか湧かない。
なぜ、これで日本がよくなると思えるのだろうか。

ちなみに、小池百合子氏を応援した割合を見ると、「なるほどね~」と思わずにはいられない。

ウダウダと考えて、書くのにモタモタと何日も掛けていたら、石丸氏へのパワハラなどの批判的な記事も散見されるようになった。
もっと小泉フィーバーのように盛り上げようとすると思ったのだが、そうでもないのかな。
それでも批判合戦すれば、石丸氏の知名度は上がるのか。

--

さて、衆議院選挙は2021年10月だったので、解散が無ければ2025年10月の任期満了が選挙となる。
参議院選挙は3年毎に半数が改選される。前回は2022年7月だったから、次は2025年7月となる。

自民党総裁の任期は3年である。2021年9月に就任したため、辞任しなければ2024年9月が総裁選となる。
この総裁選で世論を盛り上げて、その勢いで衆議院選挙に勝つことが、与党にとってはベストとなる。

選挙の度に「政治がよく分からない」と言っている人がいる。
しかし、9割の人は政治が分からないと思った方がいい。
ほとんどの人が政治が分からないのだから、不満があれば「政治にNO」、満足しているなら「政治にYES」、でいい。

<政治にNO>
 野党を選ぶ(次点の政党を選ぶ)

<政治にYES>
 与党を選ぶ
 白紙投票
 投票に行かない

そもそも野党が分からないと言われそうだが、自民の次点である維新か立憲でいい。何も考えずに次点でいいのである。
野党は期待できないと言われそうだが、そもそも自分自身が不安定な生活なのに、なぜ政治家に安定を提供するのか。
政治家に不安定を提供しよう。そうすれば庶民のことを考えるようになるかもしれない。

野党には政権担当能力がないと言われそうだが、政治が分かる人は政権担当能力について議論すればいい。
しかし、政治が分からないのなら、政権担当能力なんて考えるだけ時間の無駄である。

--

庶民が、経済の恩恵を受けたいのなら、消費の活性化だと思う。
消費の活性化のためには「累進課税の強化」、「応能負担の強化」、「貯め込んだら増税」が必要だと思っている。
優先すべきはフローである。

例えば、黒田バズーカをやっても一部の人にしか恩恵はなかった。庶民が潤ったという話しは聞かない。
バラマキや規制緩和しても、小泉政権や安倍政権で起きた実感なき好景気しか生まれない。

繰り返し書くが、必要なことは「累進課税の強化」、「応能負担の強化」、「貯め込んだら増税」の3点である。

さて、バラマキや規制緩和すると、なぜ実感なき好景気になるんだろうね。ウフフフフ。

--

拝金主義というものがある。金銭こそが最上のものと考え、何よりも大事に扱うといった考え方や性格のことらしい。
同じような言葉で経済人(ホモ・エコノミクス)というものがある。経済的合理性に徹し、自己の効用・利得の極大化を目指し、他者の効用・利得を考慮に入れることがないということらしい。
そして、「功ある者には禄を与えよ、徳ある者には地位を与えよ」という言葉がある。

つまり、プレイヤーとして優秀だとしても、徳が無ければ管理する側に立たせてはいけないということ。

(憶測で書いているので鵜呑みにしないでください。間違っていたときはゴメンナサイ。謙虚に。謙虚に。)

|ω・`)

 

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2024年7月12日 (金)

「全世界化した資本主義が向かう「3つのシナリオ」」。自分で考えるしかない。

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全世界化した資本主義が向かう「3つのシナリオ」 現代の「知性」は資本主義の暴走を止められるか
https://news.yahoo.co.jp/articles/efae89a19ce72d0335698aa4c764098a8a0beb9d
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前回のブログで資本主義のことを書いたので、この記事が気になった。

書いてある内容は、その通りなのだろう。覚えておいて損はない内容だと思う。
これはあくまで知識でしかないので、方向性というかベクトルをどうするかは、自分で考えるしかない。この知識をどう活用するかは自分次第なんだろう。

私たちは好むと好まざるとにかかわらず、資本主義に立脚した世界システムの中に生まれ落ち、そこに組み込まれて生きています。その全世界化した資本主義とどのように対峙していくのか、つまり個人として「どう生きるのか?」というのが、私たちに投げかけられている問いなのです。単にその中で踊るのか?  踊るフリをしながら反転攻勢の機会を伺うのか?  それともその巨大システムに真っ向から立ち向かうのか? 
さまざまな生き方があり得るとは思いますが、こうした自分を取り巻く状況をよく観察し、よく理解したうえで、「僕たちはどう生きるのか?」を考えるのが、教養というものの意味なのではないかと思います。

巨大システムに真っ向から立ち向かうと書かれているので、必ずしも資本主義に迎合しているわけではないと思う。
しかし、資本主義の中で生きて行け、もしくは、資本主義だからしょうがない、と読めてしまう。
そして、そんな、どうしようもない状況の中で、失われた30年が作られた。それはダメである。いいようにやられるだけである。

修正資本主義の動きに対し、それらは見せかけだけのポーズにすぎず、「SDGsは現代のアヘン」だとして、脱成長・脱資本主義を訴えているのが東京大学准教授の斎藤幸平です。

『コモンの「自治」論』に見られる斎藤が構想する社会は、コミュニティ(地域共同体)を中心とした「コミュニティ・イズム」と呼ぶべき人間中心のもので、宇沢の「社会的共通資本」や誰もが自由に利用でき、占有が許されない空間である「コモンズ」の概念に近いものです。したがって、私たちが連想するコミュニズム(共産主義)とは内容がかなり異なりますが、本人はこれを「コミュニズム」と呼んでいます。

SDGsって、何だろうか。もしかしたら、単なるガス抜きかもしれいないので、安易に信じないほうがいいのかもしれない。
私がSDGsで思い浮かべるのは、フードロスを無くすということ。「SDGs=フードロス」と錯覚するぐらい、フードロスばかり目についた。
逆に貧困に対するSDGsの取り組みは、見かけたことがない。もしかしたら、見かけたかもしれないが、それくらい印象が薄いということ。

社会的共通資本については、詳しくは知らないが、私は公共性を大事にするべきだと思っている。何でもかんでも、資本化すればいいわけではないだろう。
つまり、社会のために公共性の線引きが大事だということ。この逆が資本主義である。資本主義からしたら、何でもかんでも資本化したほうが、資本の総量が増えるのだから、好ましいことになる。
私は、過渡期を過ぎた産業で、雑巾を絞るような運営なら、どんどん省人化して、公共性を高めるべきだと思っている。そして、資源を別の産業へ集中すべきだろう。
もちろん、何でもかんでも、公共性があるとは思わないが、社会インフラが省人化と公共性で、安価で等しく利用できるようになれば、それは社会に還元されることになる。
大事なのは、雑巾を絞るような働き方をする労働者がいないということだ。
現実が、なぜそうならないかといえば、GDPを大きくすることが、資本主義では大事だからだ。それによって、資本主義の上に乗っかっている人達の利益になるからだ。
省人化と公共性は、資本主義にとってはマイナスとなる。ほんと、それだけのことである。

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さて、衆議院選挙は2021年10月だったので、解散が無ければ2025年10月の任期満了が選挙となる。
参議院選挙は3年毎に半数が改選される。前回は2022年7月だったから、次は2025年7月となる。

自民党総裁の任期は3年である。2021年9月に就任したため、辞任しなければ2024年9月が総裁選となる。
この総裁選で世論を盛り上げて、その勢いで衆議院選挙に勝つことが、与党にとってはベストとなる。

選挙の度に「政治がよく分からない」と言っている人がいる。
しかし、9割の人は政治が分からないと思った方がいい。
ほとんどの人が政治が分からないのだから、不満があれば「政治にNO」、満足しているなら「政治にYES」、でいい。

<政治にNO>
 野党を選ぶ(次点の政党を選ぶ)

<政治にYES>
 与党を選ぶ
 白紙投票
 投票に行かない

そもそも野党が分からないと言われそうだが、自民の次点である維新か立憲でいい。何も考えずに次点でいいのである。
野党は期待できないと言われそうだが、そもそも自分自身が不安定な生活なのに、なぜ政治家に安定を提供するのか。
政治家に不安定を提供しよう。そうすれば庶民のことを考えるようになるかもしれない。

野党には政権担当能力がないと言われそうだが、政治が分かる人は政権担当能力について議論すればいい。
しかし、政治が分からないのなら、政権担当能力なんて考えるだけ時間の無駄である。

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庶民が、経済の恩恵を受けたいのなら、消費の活性化だと思う。
消費の活性化のためには「累進課税の強化」、「応能負担の強化」、「貯め込んだら増税」が必要だと思っている。
優先すべきはフローである。

例えば、黒田バズーカをやっても一部の人にしか恩恵はなかった。庶民が潤ったという話しは聞かない。
バラマキや規制緩和しても、小泉政権や安倍政権で起きた実感なき好景気しか生まれない。

繰り返し書くが、必要なことは「累進課税の強化」、「応能負担の強化」、「貯め込んだら増税」の3点である。

さて、バラマキや規制緩和すると、なぜ実感なき好景気になるんだろうね。ウフフフフ。

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拝金主義というものがある。金銭こそが最上のものと考え、何よりも大事に扱うといった考え方や性格のことらしい。
同じような言葉で経済人(ホモ・エコノミクス)というものがある。経済的合理性に徹し、自己の効用・利得の極大化を目指し、他者の効用・利得を考慮に入れることがないということらしい。
そして、「功ある者には禄を与えよ、徳ある者には地位を与えよ」という言葉がある。

つまり、プレイヤーとして優秀だとしても、徳が無ければ管理する側に立たせてはいけないということ。

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2024年7月 5日 (金)

「新紙幣の肖像 「近代日本資本主義の父」渋沢栄一」。世はまさに、大航海時代。その2。

前回のブログの続き。

経済とは何か。
経世済民を略して経済である。そして、経世済民は、世の中を治め、民衆を苦しみから救済することである。

経済とは、生産活動だと思っている。
昔は、肥沃な土地を得ることが、繁栄につながった。だから、肥沃な土地を略奪する。つまり、戦争である。
略奪するのではなく、生産活動によって豊かになる。豊かになるために、物の量を増やすことが経済活動だと思っている。

これを踏まえると、搾取とは略奪行為である。つまり、戦争行為と同じである。戦争しているのだから、国は疲弊していく。それが日本の現状である。
搾取ではなく、生産量を増やすことにより、全員が豊かになることが、経済だと思っている。全員を豊かにすることを目的としていないから、日本は衰退している。
経済の専門家が、搾取を前提とした経済政策を言っているときがあるが、それは略奪行為であって、戦争学である。経済の話しではない。
もしかしたら「俺は戦争しているんだよ」と言われるかもしれないが、それだと漫画のような話しになってしまう。

民主主義と非民主主義に、陣営が分かれているよう話しがある。
しかし、実際には資本主義と非資本主義の話しである。
資本主義は、格差を拡大させる。つまり、平等ではない。つまり、似非民主主義ということになる。
また、資本の奴隷という言葉どおり、権威主義な一面がある。似非民主主義ではなく、似非権威主義とも言える。
何が言いたいかというと、民主主義と非民主主義という言葉を鵜呑みにするのではなく、似非権威主義と権威主義と捉えたほうが分かりやすいということ。
ここで重要なのは、純粋な権威主義と、似非権威主義では、明らかに純粋な権威主義のほうが強いだろうということ。
いやいや、似非権威主義ではなく、民主主義の話しだろと言われるかもしれないが、民主主義とは平等でなければ民主主義ではない。搾取が横行していれば、民主主義ではない。
民主主義ではないのだから、民主主義の強みを発揮できない。それが今の民主主義の現状だろう。

こんな話しをしていると、ポピュリズム(大衆迎合)と批判されそうである。
保守=右側=貴族側となる。もともと右側は体制側なのである。逆に、リベラル=左側=民衆側となる。つまり、大衆側である。
体制側と言われると、官僚体制をイメージするかもしれないが、資本主義なのだから資本主義体制と認識したほうがいい。
つまり、体制側を突き詰めていくと、格差の拡大につながるということ。
大衆迎合と批判があるかもしれないが、逆言えば体制迎合が隠れているということになる。

前回のブログでも書いたが、資本の奴隷になるか、独裁の奴隷になるか、それが嫌だったら、奴隷解放運動を目指すことになる。
民主主義における選挙は、平和的な奴隷解放運動である。
庶民は、常に資本の奴隷と独裁の奴隷という危険に晒されていると思ったほうがいい。だから、日頃から奴隷解放運動を意識したほうがいい。
もっとも、低賃金で24時間働けますっていう奇特な人は、別だが。

ねだるな、勝ち取れ、さすれば与えられん。
求めよ、さらば与えられん。探せよ、さらば見つからん。叩けよ、さらば開かれん。

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さて、衆議院選挙は2021年10月だったので、解散が無ければ2025年10月の任期満了が選挙となる。
参議院選挙は3年毎に半数が改選される。前回は2022年7月だったから、次は2025年7月となる。

自民党総裁の任期は3年である。2021年9月に就任したため、辞任しなければ2024年9月が総裁選となる。
この総裁選で世論を盛り上げて、その勢いで衆議院選挙に勝つことが、与党にとってはベストとなる。

選挙の度に「政治がよく分からない」と言っている人がいる。
しかし、9割の人は政治が分からないと思った方がいい。
ほとんどの人が政治が分からないのだから、不満があれば「政治にNO」、満足しているなら「政治にYES」、でいい。

<政治にNO>
 野党を選ぶ(次点の政党を選ぶ)

<政治にYES>
 与党を選ぶ
 白紙投票
 投票に行かない

そもそも野党が分からないと言われそうだが、自民の次点である維新か立憲でいい。何も考えずに次点でいいのである。
野党は期待できないと言われそうだが、そもそも自分自身が不安定な生活なのに、なぜ政治家に安定を提供するのか。
政治家に不安定を提供しよう。そうすれば庶民のことを考えるようになるかもしれない。

野党には政権担当能力がないと言われそうだが、政治が分かる人は政権担当能力について議論すればいい。
しかし、政治が分からないのなら、政権担当能力なんて考えるだけ時間の無駄である。

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庶民が、経済の恩恵を受けたいのなら、消費の活性化だと思う。
消費の活性化のためには「累進課税の強化」、「応能負担の強化」、「貯め込んだら増税」が必要だと思っている。
優先すべきはフローである。

例えば、黒田バズーカをやっても一部の人にしか恩恵はなかった。庶民が潤ったという話しは聞かない。
バラマキや規制緩和しても、小泉政権や安倍政権で起きた実感なき好景気しか生まれない。

繰り返し書くが、必要なことは「累進課税の強化」、「応能負担の強化」、「貯め込んだら増税」の3点である。

さて、バラマキや規制緩和すると、なぜ実感なき好景気になるんだろうね。ウフフフフ。

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拝金主義というものがある。金銭こそが最上のものと考え、何よりも大事に扱うといった考え方や性格のことらしい。
同じような言葉で経済人(ホモ・エコノミクス)というものがある。経済的合理性に徹し、自己の効用・利得の極大化を目指し、他者の効用・利得を考慮に入れることがないということらしい。
そして、「功ある者には禄を与えよ、徳ある者には地位を与えよ」という言葉がある。

つまり、プレイヤーとして優秀だとしても、徳が無ければ管理する側に立たせてはいけないということ。

(憶測で書いているので鵜呑みにしないでください。間違っていたときはゴメンナサイ。謙虚に。謙虚に。)

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2024年7月 4日 (木)

「新紙幣の肖像 「近代日本資本主義の父」渋沢栄一」。世はまさに、大航海時代。

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新紙幣の発行開始 20年ぶり、渋沢1万円に客歓喜
https://news.yahoo.co.jp/articles/db92f29745eecf4bb43bdfff861ca5ebfa246c28
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新紙幣の肖像は、1万円札が「近代日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一、5千円札が女子英学塾(現津田塾大学)創立者の津田梅子、千円札が「近代日本医学の父」と言われる北里柴三郎。キャッシュレス化が進む中で新紙幣が登場する初のケースとなった。

新紙幣でニュースが盛り上がっているようだ。あくまでニュースが盛り上がっているのであって、国民が盛り上がっているのかは知らない。
渋沢栄一は、「近代日本資本主義の父」と呼ばれているらしいが、私は不勉強なため、よく知らない。
しかしながら、資本主義ですこし思うところがあるので、思うところを書いてみる。

賃金奴隷という言葉がある。つまり、資本の奴隷である。
逆に、独裁者が国民を奴隷のように扱うこともある。
外国人労働者が、日本ではなく中国を目指して、日本は見向きもされなくなると言われる。
社会主義の独裁は、よく批判されるが、実際には中国を目指す若者もいるということだ。
もしかしたら、資本の奴隷も、独裁の奴隷も、同じように映っているのかもしれない。

奴隷と言えば、植民地である。植民地と言えば、大航海時代である。世はまさに、大航海時代。
もしかしたら「奴隷王に俺はなる」とか言っている人がいるのかもしれない。

資本主義は、格差の拡大をともなう。
民主主義は、平等を謳っている。

権威主義は、権力を独占する。
社会主義は、平等を謳っている。

抱き合わせ販売のようなものだろう。

日本の民主主義は、戦勝国から与えられたものである。市民革命が起きたわけではない。
では、日本に市民革命は必要だろうか。
庶民が考えることは、資本の奴隷にも、独裁の奴隷にも、なってはならないということだ。
市民革命を起こすというよりも、奴隷解放運動を目指すべきだということ。

もしも、結婚も考えられないような低賃金で、人生設計が破綻しているなら、それは奴隷と何ら変わらないのだから、奴隷解放運動に参加してみるのもいいかもしれない。
もしも、長時間労働による過労死や、パワハラによるウツなどに陥るのなら、それは奴隷と何ら変わらないのだから、奴隷解放運動に参加してみるのいいかもしれない。
では、すでに民主主義の日本にとって、奴隷解放運動とは何か。もちろん、選挙権の行使である。無血による奴隷解放運動である。これが民主主義である。
逆に、「日本に奴隷なんて、いるわけないじゃないか」と言う人は、中二病乙とでも言ってくれればいい。

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さて、衆議院選挙は2021年10月だったので、解散が無ければ2025年10月の任期満了が選挙となる。
参議院選挙は3年毎に半数が改選される。前回は2022年7月だったから、次は2025年7月となる。

自民党総裁の任期は3年である。2021年9月に就任したため、辞任しなければ2024年9月が総裁選となる。
この総裁選で世論を盛り上げて、その勢いで衆議院選挙に勝つことが、与党にとってはベストとなる。

選挙の度に「政治がよく分からない」と言っている人がいる。
しかし、9割の人は政治が分からないと思った方がいい。
ほとんどの人が政治が分からないのだから、不満があれば「政治にNO」、満足しているなら「政治にYES」、でいい。

<政治にNO>
 野党を選ぶ(次点の政党を選ぶ)

<政治にYES>
 与党を選ぶ
 白紙投票
 投票に行かない

そもそも野党が分からないと言われそうだが、自民の次点である維新か立憲でいい。何も考えずに次点でいいのである。
野党は期待できないと言われそうだが、そもそも自分自身が不安定な生活なのに、なぜ政治家に安定を提供するのか。
政治家に不安定を提供しよう。そうすれば庶民のことを考えるようになるかもしれない。

野党には政権担当能力がないと言われそうだが、政治が分かる人は政権担当能力について議論すればいい。
しかし、政治が分からないのなら、政権担当能力なんて考えるだけ時間の無駄である。

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庶民が、経済の恩恵を受けたいのなら、消費の活性化だと思う。
消費の活性化のためには「累進課税の強化」、「応能負担の強化」、「貯め込んだら増税」が必要だと思っている。
優先すべきはフローである。

例えば、黒田バズーカをやっても一部の人にしか恩恵はなかった。庶民が潤ったという話しは聞かない。
バラマキや規制緩和しても、小泉政権や安倍政権で起きた実感なき好景気しか生まれない。

繰り返し書くが、必要なことは「累進課税の強化」、「応能負担の強化」、「貯め込んだら増税」の3点である。

さて、バラマキや規制緩和すると、なぜ実感なき好景気になるんだろうね。ウフフフフ。

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同じような言葉で経済人(ホモ・エコノミクス)というものがある。経済的合理性に徹し、自己の効用・利得の極大化を目指し、他者の効用・利得を考慮に入れることがないということらしい。
そして、「功ある者には禄を与えよ、徳ある者には地位を与えよ」という言葉がある。

つまり、プレイヤーとして優秀だとしても、徳が無ければ管理する側に立たせてはいけないということ。

(憶測で書いているので鵜呑みにしないでください。間違っていたときはゴメンナサイ。謙虚に。謙虚に。)

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