2024年9月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

ポチッと押してくれ


  • ブログランキング・にほんブログ村へ

ポチッと押してくれ



無料ブログはココログ

« 「新紙幣の肖像 「近代日本資本主義の父」渋沢栄一」。世はまさに、大航海時代。その2。 | トップページ | 「「石丸フィーバー」なぜ起きた?」。なぜ、これで日本がよくなると思えるのだろうか。 »

2024年7月12日 (金)

「全世界化した資本主義が向かう「3つのシナリオ」」。自分で考えるしかない。

---
全世界化した資本主義が向かう「3つのシナリオ」 現代の「知性」は資本主義の暴走を止められるか
https://news.yahoo.co.jp/articles/efae89a19ce72d0335698aa4c764098a8a0beb9d
---

前回のブログで資本主義のことを書いたので、この記事が気になった。

書いてある内容は、その通りなのだろう。覚えておいて損はない内容だと思う。
これはあくまで知識でしかないので、方向性というかベクトルをどうするかは、自分で考えるしかない。この知識をどう活用するかは自分次第なんだろう。

私たちは好むと好まざるとにかかわらず、資本主義に立脚した世界システムの中に生まれ落ち、そこに組み込まれて生きています。その全世界化した資本主義とどのように対峙していくのか、つまり個人として「どう生きるのか?」というのが、私たちに投げかけられている問いなのです。単にその中で踊るのか?  踊るフリをしながら反転攻勢の機会を伺うのか?  それともその巨大システムに真っ向から立ち向かうのか? 
さまざまな生き方があり得るとは思いますが、こうした自分を取り巻く状況をよく観察し、よく理解したうえで、「僕たちはどう生きるのか?」を考えるのが、教養というものの意味なのではないかと思います。

巨大システムに真っ向から立ち向かうと書かれているので、必ずしも資本主義に迎合しているわけではないと思う。
しかし、資本主義の中で生きて行け、もしくは、資本主義だからしょうがない、と読めてしまう。
そして、そんな、どうしようもない状況の中で、失われた30年が作られた。それはダメである。いいようにやられるだけである。

修正資本主義の動きに対し、それらは見せかけだけのポーズにすぎず、「SDGsは現代のアヘン」だとして、脱成長・脱資本主義を訴えているのが東京大学准教授の斎藤幸平です。

『コモンの「自治」論』に見られる斎藤が構想する社会は、コミュニティ(地域共同体)を中心とした「コミュニティ・イズム」と呼ぶべき人間中心のもので、宇沢の「社会的共通資本」や誰もが自由に利用でき、占有が許されない空間である「コモンズ」の概念に近いものです。したがって、私たちが連想するコミュニズム(共産主義)とは内容がかなり異なりますが、本人はこれを「コミュニズム」と呼んでいます。

SDGsって、何だろうか。もしかしたら、単なるガス抜きかもしれいないので、安易に信じないほうがいいのかもしれない。
私がSDGsで思い浮かべるのは、フードロスを無くすということ。「SDGs=フードロス」と錯覚するぐらい、フードロスばかり目についた。
逆に貧困に対するSDGsの取り組みは、見かけたことがない。もしかしたら、見かけたかもしれないが、それくらい印象が薄いということ。

社会的共通資本については、詳しくは知らないが、私は公共性を大事にするべきだと思っている。何でもかんでも、資本化すればいいわけではないだろう。
つまり、社会のために公共性の線引きが大事だということ。この逆が資本主義である。資本主義からしたら、何でもかんでも資本化したほうが、資本の総量が増えるのだから、好ましいことになる。
私は、過渡期を過ぎた産業で、雑巾を絞るような運営なら、どんどん省人化して、公共性を高めるべきだと思っている。そして、資源を別の産業へ集中すべきだろう。
もちろん、何でもかんでも、公共性があるとは思わないが、社会インフラが省人化と公共性で、安価で等しく利用できるようになれば、それは社会に還元されることになる。
大事なのは、雑巾を絞るような働き方をする労働者がいないということだ。
現実が、なぜそうならないかといえば、GDPを大きくすることが、資本主義では大事だからだ。それによって、資本主義の上に乗っかっている人達の利益になるからだ。
省人化と公共性は、資本主義にとってはマイナスとなる。ほんと、それだけのことである。

--

さて、衆議院選挙は2021年10月だったので、解散が無ければ2025年10月の任期満了が選挙となる。
参議院選挙は3年毎に半数が改選される。前回は2022年7月だったから、次は2025年7月となる。

自民党総裁の任期は3年である。2021年9月に就任したため、辞任しなければ2024年9月が総裁選となる。
この総裁選で世論を盛り上げて、その勢いで衆議院選挙に勝つことが、与党にとってはベストとなる。

選挙の度に「政治がよく分からない」と言っている人がいる。
しかし、9割の人は政治が分からないと思った方がいい。
ほとんどの人が政治が分からないのだから、不満があれば「政治にNO」、満足しているなら「政治にYES」、でいい。

<政治にNO>
 野党を選ぶ(次点の政党を選ぶ)

<政治にYES>
 与党を選ぶ
 白紙投票
 投票に行かない

そもそも野党が分からないと言われそうだが、自民の次点である維新か立憲でいい。何も考えずに次点でいいのである。
野党は期待できないと言われそうだが、そもそも自分自身が不安定な生活なのに、なぜ政治家に安定を提供するのか。
政治家に不安定を提供しよう。そうすれば庶民のことを考えるようになるかもしれない。

野党には政権担当能力がないと言われそうだが、政治が分かる人は政権担当能力について議論すればいい。
しかし、政治が分からないのなら、政権担当能力なんて考えるだけ時間の無駄である。

--

庶民が、経済の恩恵を受けたいのなら、消費の活性化だと思う。
消費の活性化のためには「累進課税の強化」、「応能負担の強化」、「貯め込んだら増税」が必要だと思っている。
優先すべきはフローである。

例えば、黒田バズーカをやっても一部の人にしか恩恵はなかった。庶民が潤ったという話しは聞かない。
バラマキや規制緩和しても、小泉政権や安倍政権で起きた実感なき好景気しか生まれない。

繰り返し書くが、必要なことは「累進課税の強化」、「応能負担の強化」、「貯め込んだら増税」の3点である。

さて、バラマキや規制緩和すると、なぜ実感なき好景気になるんだろうね。ウフフフフ。

--

拝金主義というものがある。金銭こそが最上のものと考え、何よりも大事に扱うといった考え方や性格のことらしい。
同じような言葉で経済人(ホモ・エコノミクス)というものがある。経済的合理性に徹し、自己の効用・利得の極大化を目指し、他者の効用・利得を考慮に入れることがないということらしい。
そして、「功ある者には禄を与えよ、徳ある者には地位を与えよ」という言葉がある。

つまり、プレイヤーとして優秀だとしても、徳が無ければ管理する側に立たせてはいけないということ。

(憶測で書いているので鵜呑みにしないでください。間違っていたときはゴメンナサイ。謙虚に。謙虚に。)

|ω・`)

 

ブログランキング・にほんブログ村へポチッと押してくれ
ポチッと押してくれ

« 「新紙幣の肖像 「近代日本資本主義の父」渋沢栄一」。世はまさに、大航海時代。その2。 | トップページ | 「「石丸フィーバー」なぜ起きた?」。なぜ、これで日本がよくなると思えるのだろうか。 »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 「新紙幣の肖像 「近代日本資本主義の父」渋沢栄一」。世はまさに、大航海時代。その2。 | トップページ | 「「石丸フィーバー」なぜ起きた?」。なぜ、これで日本がよくなると思えるのだろうか。 »